来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「半チャーハン」しかない

ラーメン屋さんに行くとメニューに「チャーハン」がなく「半チャーハン」だけ載ってるということがたまにあります。

私はチャーハンだけが食べたいので店員さんに「半分じゃない普通の量のチャーハンはないですか?」と聞くとだいたい「ありますよー」と返ってきます。

しかし今までに一度「半チャーハンしかないです」というラーメン屋に遭遇したことがあります。

 

半チャーハンしかない?

 

このチャーハンは一体なにの半分なのでしょう?

 

半分というのは、まず半分にするメインがあるはず。しかし、半分しか存在しない。それはつまり単なる少ないチャーハンなのでは?バグというか0で除算するような妙な気分になります。

 

このときは半チャーハン2つ頼んで1つの皿に盛ってもらいました。

 

できるじゃん。なぜ頑なに無いと言ったのか。しかしこれも店員にとってこれはあくまで半チャーハン二杯なのかもしれない。

 

しかしこの半チャーハンというものは、あくまでメインはラーメンで、そのラーメンのセットにするためのサブポジションなのが納得いきません。チャーハンメインで半ラーメンというセットを出す店が少ない。

 

しかし今日行ったラーメン屋にはそのチャーハン+半ラーメンのセットが有りました。嬉しいついでに昔あったことを思い出したのでした。

誰でも簡単に出来る

昔から「誰でも簡単に弾ける」という触れ込みで新しい電子楽器がよく作られますが、それが本当に新しい楽器として定着したという話を聞いたことがありません。

この「誰でも簡単」というのは、仕組み的にはドレミファソラシドから音痴になりやすい音程を出ないようにしたり、和音をあらかじめひとつのキーにアサインしたりして、テキトーに音を出してもそれなりに音楽として成立させるという仕組みです。

特定の曲はそれで確かに簡単に弾けるようになるでしょう。しかし、それは実際には弾けるような気になっただけで達成感もないのでしょう。

 

世の中簡単にできることなんてないです。

最近のAIにしても、絵や文章を生成するだけなら誰にでもできますが、本当に誰でも簡単にできることは「出来る」と言う意味がありません。「出来る」とは、誰でもができないことが自分に出来るから意味があるのです。

 

 

radikoを倍速で聞く方法

radiokoを倍速で聞きたい。ラジオ好きなら考えたことあるでしょう。

そんなアプリがありました。その名も『らじれこ』 

https://dogaradi.com//download/

Win版、Mac版があります。

結構前からradikoを倍速で聞く方法は探してたんですがなかなか良いの見つからなかったんですよね。この『どがらじ』はいい感じです。録音(DL?)も出来ます。

 

特にトークが中心のAMラジオは倍速機能標準でほしいんですけどね。radikoは対応させるつもりはなさそうな雰囲気。

動画サービスですが、テレ東BIZは標準で倍速機能が付いてるのでポイント高いです。情報系はやはり倍速で聴きたい。

 

最近なかなか聴けないTBSジャンクとか、荻上チキとか、他面白いラジオ探して聞きたいです。

ニュースを見るのをやめました

長年、朝は前日のワールドビジネスサテライトをテレ東BIZで見てたのですが、その習慣をやめてみました。

やめた理由は「ニュースすぐ見なくてもよくね?」と思ったのです。

今日起きたまだ原因のわからない事をモヤモヤと心配するよりは、ある程度時間が経って原因やその周辺のことなどがまとまった記事を読んだ方が自分にとってプラスになるかなと。

やはり現代は情報過多なんですよ。過剰な情報は捨てていく必要があります。

その代わり、朝と夜はYouTubeで世界各地のライブカメラをテレビで流しています。

ニューオーリンズの街が盛り上がってたり、砂漠でシマウマが水を飲んでたり、北極近い場所で鳥が猛吹雪の中巣で寝てたり。

それが今世界の遠い場所で起こってるんだなと思うと、なんだか細かいことは気にせずにがんばろーなんて気分になるのです。

最近の映画撮影手法について聞いてきた

ジュンク堂那覇店で「地域密着vs無限のバーチャル世界」というタイトルで、トークイベントがありました。

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VR系のやつかなぁなんて思いつつ見に行ってきました。

 

実際の内容は最近の映画やドラマの3DCGを活用した撮影手法の話でした。

 

で、その撮影手法ですが、最近は巨大なLEDディスプレイにリアルタイムでCGで背景を表示して、それをカメラで撮るというやり方が普及しつつあるそうです。

CGを動かすのはアンリアルエンジン。カメラワークに合わせて背景CGもちゃんと動くので破綻しません。

 

これまでは緑の背景で撮影して後から合成するクロマキーという手法が主流でしたが、このやり方は撮影後にしかどんな画面になったかわからなかったそうです。それがLEDだと見たまんまだから把握しやすいと。

 

ただ、機材が高いそうです。日本での本格的な普及はまだだとか。

 

なかなか面白い話を聞けましたので、ゴーオンジャーの本も購入。

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沖縄でこうしたトークイベントが見れるのはありがたいですね。

 

人は育てられない

最近めろこ。と話してて、そうだなぁと思ったのが「人は育てられない」ということです。

これまで色々と人材育成的なことをやってみました。しかし、なにひとつ上手くいきませんでした。その原因は「人は育てられる」という思い込みにあったのです。

 

どういうことかというと、人が育つかどうかはその人が能動的に動くかなのです。どんなにうちにノウハウがあったとしても、それを教えても受動的な人は伸びない。

 

振り返ってみれば、そんな当たり前のことに全然気づかなかったんだなと。

ただ、気づかなかった理由というのもあります。それは、人に恵まれていたということです。

NEXTというサークルをやっていた頃からメンバーが優秀で、個々の能力を発揮していました。その後所属した組織や関わった人はみんな出来る人でした。

だから、売れるとか成功するかはともかくとして、誰でも最低限やるべきことをはやるだろうと思っていたのです。しかし実際は違いました。

 

世の中の多くの人は受動的だったんです。私はそういう人たちも才能があると思ったら色々サポートしてきました。将来を期待してその費用はこちら持ちで。

しかし、それも良くありませんでした。費用をこちらで負担することによって、そのお金をかけている価値を本人が気づけなくなったのです。

これが、声優事務所がワークショップを有料でやっている理由だと知りました。

 

たとえ才能があろうとも、本人の性格が受動的なら成功は有り得ないと理解したのです。

 

人は育てられないのです。自ら成長していく人をサポートすることは出来ます。人選で勝負は決まっていたのです。

 

もう人材育成は考えません。それより自分をもっと育てなくてはと思いました。まだまだ隠居には早いなと。

日本のドラマ・映画が海外で受けない理由を考えた

Amazonで配信中の韓国ドラマ「私の夫と結婚して」を見ました。映像が非常に綺麗で話の展開もわかりやすく、最終16話までダレることなく見ることが出来ました。面白かったです。

この勢いで別の韓国ドラマも見ました。こちらは「高潔な君」というかなりコメディ寄りなドラマ。2015年の作品と古めですが、当時の流行りか尺が短く小気味よく最後まで見れました。

 

ここ1年ほどはアニメ・マンガ・ドラマとかなりの作品を見たと思います。

そんななか日本のドラマ・映画が海外で受けない理由がこれじゃないかなというのを思いつきました。

 

それは「テンプレ(型)で構成されすぎ」です。

 

ドラマでよくある独り言をつぶやいたときに

「何か言った?」

「いや、なんでもない」

 

みたいなやつです。

 

TVドラマは特にテンプレが多く、それが見慣れているひとにとっては理解のしやすさに繋がりますが、逆に言えばそのテンプレをわからないひとには情報が足りません。

さらに最近多いのが、テンプレを使いたいがゆえに登場人物のキャラを変えてしまうことです。テンプレ表現のためにキャラに合わないセリフを言わせてしまう。

 

もちろん、海外のドラマにもそういうテンプレはあります。しかし日本のコンテンツはそれが顕著すぎるのです。

それはおそらく予算と時間がないことに起因してるのではないかと推測しています。テンプレは、作るのも撮るのも楽だから、それでとりあえず形には出来てしまうのです。

表現に必要なテンプレだから使ったわけではなく、作り側が楽をするために、手を抜くために強引に型にはめてるだけのテンプレです。

しかし、そんな作り方を続けてては、これからヒットする可能性は少ないでしょう。国内外ともに。

 

ちなみに、このテンプレの究極みたいなのが異世界転生モノ。読み手にとってはテンプレを知ってると消費カロリーが少なく読め、作り手もテンプレがあるので書くのが楽という共依存になっています。

そんな異世界転生モノはさまざまなテンプレが折り重なり、もはやカオスと化しています。そのせいでアニメ化の際にさまざまな説明をすっ飛ばされて、テンプレ知識のない人にはなんだかさっぱりわからないアニメになっている作品も数多くあります。

しかしながら、アニメではこのテンプレが海を超えてしまい、理解できるファンも増えてるように見えます。すごいっちゃすごいですが、さらに市場を拡大するのに壁となってることには変わらないかなと。

 

この表現のガラバゴスを変えていくことが、これからの日本のコンテンツの生き延びる道だと思います。