跡地

らいとです

小説の「食べ方」

Audibleを聞いているが、ちょっと合わないジャンルがあることに気づいた。


それは、重めな小説。


文字で読むのと違い、「声」という情報が乗っている分重い話がさらに重くなる。


これを良しとするかどうかは人によるだろう。私にとってはなかなか聞き続けられない。ビジネス書か、あっけらかんとした俺強ェ異世界転生ぐらいがちょうどいいだろう。


最近ではAIボイスも増えてきた。しかし、聞いていると必ずしも人間の仕事を奪うとも言えない。感情の起伏のないAIボイスはビジネス書にはちょうどいい。たまに人間のナレーションだとくどいときがあるのだ。


もちろんAIボイスが感情表現をすることも出来るだろう。しかし、冒頭でAIと知って聞くのと人間と知って聞くのではやはりちょっと違う。


どこまで行っても人間は情報を食ってるのだ。

 

Audibleなんてそれこそ胃に流し込んでいる感覚だ。たまにむせることもある。


食材の調理法には、もっと気を使おうと思うのであった。

ビックリマンシールやキン消しにハマらなかった理由

ボンボンドロップシールが流行る理由の考察記事を読んだ。 ザックリ言えば、シールが欲しいのではなくそれを介したコミュニケーションだと。 全くそのとおりだ。

 

それで自分のことを振り返ってみたのだが、私は小学生の頃に流行ったパッチ(沖縄ではメンコのことをそう呼んでいた)やキン消し、ビックリマンチョコなどに全く興味を持たなかった。 それ自体に魅力を感じなかったというのも間違いではないのだが、そもそもの話、それを介して交流を持ちたい人が周りにいなかったということだ。つまり、そうした流行りグッズだけでなく、周りのクラスメイトにも興味を持たなかったのだ。

 

逆に、私の同級生はファミコンをどうしても欲しがっていて、その理由が「友達の話についていけないから」だった。 それで親にファミコンを買ってもらっていたのだが、そもそもその同級生はファミコンに興味がないのだから、買っただけで話についていけるわけでもない。 私は当時、ファミコンというかゲームはすべて超大好きだったので、その同級生の家でカルノフを遊んだりした。だが彼は知識的にゲーム話もできないし、買ったゲームもこだわりがあるわけではない、ファミコンに抱き合わせでついてきただけのカルノフ。 主体性の無さに呆れたというか、そんなことして仲良くなりたいやつ学校にいるか?と思っていた。

 

そんなこんなで学年が上がるにつれてその同級生とは疎遠になっていった。

 

女の子の場合は、多分私のようにはいかないのだろう。コミュニケーションツールとしてのシールが何を差し置いても重要で、その輪に入れないと大変なことになると小学校の低学年でもわかっている。それはきっと今も昔も変わらない。

 

私は男で良かった。女に生まれて今の性格なら大変な目に遭ってただろう。

公務員にならなかった理由

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https://x.com/ichiki_817/status/2053992229639954900?s=20

 

父に公務員を薦められても、絶対に公務員はダメだと感覚的に思っていたその理由がこれだ。当時ADHDという言葉はなかったが、普通のことがこなせないという自覚はあった。

その代わり、縛られなければかなり高いパフォーマンスを発揮する可能性がある。


私にとって一番重要なのは自分自身をコントロールする裁量である。
そもそも定時に出勤して定時に終わる。土日祝日休み。これ自体がかなりのストレス。
まだシフト制の方がいい。コントロールできる感覚があるから。


その自覚が早いうちにあってよかった。気づいてなかったら大変なことになってたであろう。


人には向き不向きがある。いろんなことを試しつつ、自分がどういう人間か確かめた方がいい。


私の場合は2週間でやめたゲームショップのバイト、一年以上続けたファミレスのバイトなどがある。
そこでは、働くということは、そのジャンルや職種が好きかどうかは関係ないことを学んだ。


一番長く働いたのはパソコン教室のインストラクターだろう。多分2年近く。
経営者の考え(または考えの無さ)、同僚の質の高さ、シフトや裁量の自由度、それらが働くストレスの有無を大きく左右する。


私はストレスに非常に弱い自覚がある。だから、徹底的にストレスを排除する。


そうこうしてるうちに30年ほど経つが、一切の後悔がないのは全て自分で決めてきたという自負があるから。
失敗もあるがそれも自分のせいだから他人を恨まずに済む。親に薦められて公務員にならなかったことが一番良い判断だったと思う。公務員になってたら多分親とは絶縁していた。


日本はかなり自由だ。みんな好きなように生きたらいいと思う。親も含め、他人は無責任だからアドバイスは無視しよう。


ただ、失敗の経験談は役に立つ。参考にした方がいい。​​​​​​​​​​​​​​​​

差別に自覚がない人たち

ゲーム業界は就職で年齢差別をする」というポストに対して「そんなことはない、ただ年代ごとに求めるスキルが違う」と返している人がいた。


私は驚いた。こうもわかりやすく「私は差別が嫌いだ、でも女性には総合職をすすめない」みたいなことを言う人に。


年齢で差別しないということは、つまり履歴書に年齢を書かなくていいということである。おそらく日本の企業でそれを実践しているところは皆無だろう。


日本という国は全体として年齢で差別をしているのだ。


本気でやるならまず、国が率先して公務員の年齢制限を撤廃するべきだ。そして、企業には新卒採用をやめさせる。


そして、仮にそれを実現できたとする。今度は、面接の聞き取りで年齢を推測するだろう。
そして何より見た目だ。老け顔は間違いなく損をする。容姿差別だ。


どうしたって差別は無くならないのだ。

 

それでも、ひとつひとつ無くしていくべきだと私は思う。その手始めが年齢だ。


差別に対してちゃんと自覚して欲しい。まずはそこから。

ゼリヤーです。

サイゼに来ている。

知らない方に説明すると、イタリア料理のファミリーレストラン「サイゼリヤ」である。

サイゼはとにかく安い。ドリアが300円程度である。二人で五品頼んで二千円程度。非常に満足度が高い。

そのためうっかり来ていまう。

 

私は今回の出張で2回目だが、めろこ。は4回目と言っていた。

もはやゼリヤーと称してもいいであろう。

 

そしてまたしてもこのサイゼリヤ、沖縄に店舗がないのである。最寄りのサイゼは台北だ。日本ですらない。

 

いつか沖縄にもサイゼができるのを願い、小エビのサラダを堪能するのである。(ドレッシングも売っているのだ)

 

コメダーです。

今回の東京出張の宿泊地近くのコメダ珈琲店が仕事場と化している。

コメダは良い。席は多く、コンセントもある。豆もくれる。

 

思案し、テキストを書く。かなり捗る。

 

私は落ち着きがないタイプなので、ひと作業ごとに移動しないと仕事が進まない。だから、朝コメダに行って、夜もコメダということもザラである。

 

もはやコメダーを称してもいいだろう。

 

週明けには沖縄に帰るが、それまでお世話になることであろう。

うちの近所にもコメダ珈琲店の開店を熱望する。

「目覚めた」ミュージシャンたち

ミュージシャンのSNSでの政治的発言が増えている。それ自体は別に構わないと思う。むしろスタンスを明確にする意味ではやるべきだ。今は「人」を見る時代だからだ。


ただ、ミュージシャンという「職業」で考えてみると、やり方はかなり間違えている人が多い。
フォークソング全盛の頃は、歌に政治的要素が入ってるのは当たり前だった。しかしそれは政治的要素を含んだ上で、ファンに求められているパフォーマンスだったのである。あれはビジネスなのだ。いわばソフトな鳥肌実だ。


問題は、「目覚めてしまった」ミュージシャンである。これまでろくに政治のことなんか考えてこなかった人間が突然、複雑な政治を理解できるわけがない。

だから、お金をもらって開催しているライブで、ミュージシャンとしての知名度と拡散力を使って非常に残念な政治的発言をステージでしてしまう。ファンはドン引きである。


今はそんなもの求められていない。だからビジネスとしては歌に政治的要素を入れるのはなかなか受け入れられないであろう。

しかし、やりようによっては受け入れられる可能性はゼロではないとは思う。エンタメのプロならば、そこまで考えた上で政治的要素を含めたパフォーマンスを成功させてほしい。


現状はミュージシャンのやる政治パフォーマンスはファンへの甘え。

商業パフォーマンスと政治的スタンス、そこは切り分けるべきだ。