子どもにゲーム機を与えなかった親の話がX上で話題になっている。全体としては否定派が多い。欲しかった時代に与えられなかった者は、恨み続けるからだ。
私は小4のころ、ファミコンを買ってもらえなかった。だがあまりにもゲームがやりたくて、ゲーセンや友達の家、電気屋に入り浸り、家に帰ってこない。困った親が妥協案としてパソコンを買ってくれた。その後割とすぐ、おばさんからファミコンをもらった。だから「禁止された」という記憶はない。
私の友達に、周りの会話についていけないからとファミコンを買ってほしいと親に泣きついたやつがいた。よく聞く話だ。友達の親は買ってくれた。ところが本人は全然ファミコンに興味がない。
結局、私はファミコンの話題で盛り上がった記憶はない。そして中学に入ると、周りの影響だろう、不良化した。
別の友達で、家でテレビが見られないやつもいた。テレビが見られないのだから、当然ゲームどころではない。本人曰く、自分で壊してそのまま直していないらしい。とても絵のうまいやつだったが、これも中学で不良化した。
ファミコンがあってもなくても、どちらも不良化した。本質的に、ゲーム機の有無はあまり重要ではないと思う。
私の観測からすると、二人に共通していたのは、本人の裁量領域が狭いことだ。親や環境のせいで、やりたいことを自由にできない。そういう状態に見えた。問題はまずそこにあったと思う。ちなみに不良化したあとのことは、どちらも知らない。
では私はどうだったか。裁量はかなり広かったと思う。欲しいものは買えたし、やりたいことはやれた。だから親に強く反抗する理由がない。私の主観では反抗期はなかった(親がどう思っていたかは知らない)
それと、友達との話題のために何かを欲しがったことはない。学校で流行っているものには興味がなく、自分が欲しいものとしてパソコンやゲーム機があった。それをわかり合える友達は欲しかったが、周りにいなかった。
あとから気づいたことだが、そもそも学校に、共通の話題で友達になりたいと思える相手がいなかった。それより大人と話すほうが、ずっと面白かった。
結果として、小中学校はそれなりに友達がいつつも、放課後はだいたい一人でゲーセン、パソコンショップ、本屋、おもちゃ屋に行っていた。その積み重ねが、今の私につながっている。
ちなみに高校からは、話の合う友達が増えた。行きつけのゲーセンが、その中心にあった。
小中学校は、たまたま同じ校区の人間が集められただけだ。だから個人的にはあまり重要だと思っていない。ただ、子どもにとっては世界が狭いから、仲良くしないと怖いのかもしれない。私はクラスで仲良くしなくても、おもちゃ屋のおじさんと話しているほうが面白かった。だからそういうのは全然気にならなかった。
世界は広いほうがいい。学校以外の世界を知れば、案外、学校の友達なんて必要ない。
今ならネットがある。気の合う仲間を見つけるなら、ネットがいいだろう。
ネットは危険だという人もいる。だがそれを言うなら、リアルのほうがよっぽど危険だ。
要は使い方なのだ。
