跡地

らいとです

夏のミラージュ

TESLAのModel3を購入。

プリインストールでSpotifyが入ってるのでそれで音楽をきいているが、TESLAは評判通り音響は非常によいので聴いてて心地が良い。

流れで『藤丸バンド』『スペクトラム』ときて、『和田加奈子』にたどり着く。アニメ『きまぐれオレンジロード』の主題歌『夏のミラージュ』を歌っている方だ。

この夏のミラージュが本当によい。オレンジロードという作品は主人公が中学生の頃から始まるのだが、喫茶店とかディスコとか当時から”背伸び”感があり、その雰囲気を主題歌がとても上手く反映している。

なんというか、シティポップ系ではあるのだが、シティポップ過ぎないのだ。あくまで10代。

これが10代だからと10代のアイドル、例えば早見優とかが歌うとそれは初々しすぎて合わない。

当時の音楽スタッフ陣は本当に素晴らしい。ただし、脚本についてはずっと文句を言い続ける。当時のスケバンブームを取り入れた脚本は本当にひどい。劇場版なんかもほんとにひどい。オレンジロードの設定の良さを殺し、トレンディドラマをやっている。

当時のアニメはめちゃくちゃだった。スタッフが若くて暴走していた。その暴走が吉と出る場合もある。ナディアなんかは大吉だろう。途中の無人島編はアレだが、全体としてとてもキャラが生き生きしていた。本当に好きだった。好きすぎて、私はナディアが終わった後に妹に借金してLDボックスを買ったほどだ。

その点、オレンジロードは大凶だ。TV版、劇場版、さらには小説版まで。夏のミラージュを聴いてて、うっかりそんなことを思い出してしまった。

思い出しついでに、少年ジャンプスペシャル版のオレンジロードをYouTubeで見た。これは、TV版とスタッフが違うパイロット版のようなもの。これは原作の雰囲気を上手くアニメに落とし込んでいる。それをテレビで見て、私はとても期待したのだ。それが、どうしてこうなった?

なんなら、オレンジロードは今新しくアニメ化して欲しい。ちゃんと原作準拠で。最近じゃトルーパーとかうる星やつらとか、80年代アニメのリバイバルが多い。ぜひやってほしい。それこそシティポップと絡めても良いかもしれない。

 

私の人生の方向性を決めた作品だ。またことあるごとに色々思い出すのだろう。
思い出したついでに原作を読むことにする。

セルフディープフェイク

結構見かけるのが、自分や家族の写真を使ってAI写真を作る人。

自分の写真を使ってるから問題ないと思ってるだろうけど、私はこれ10年後ぐらいに大きな問題になると思っている。

それは、時が経ち作った本人の記憶が曖昧になり、現実か虚構かわからなくなるということ。

確かにAIは面白い写真を作れるので色々作ってしまうのだろう。そうすると、現実の写真と虚構の写真がフォトライブラリの中で混ざりあい、数年もすれば作ったことすら忘れてしまうだろう。

そうして作ったAI写真は、微妙にあり得そうな写真だとそのまま受け入れてしまう可能性が非常に高い。本人の中では虚構が真実となるのだ。

もちろん、画像のプロパティを見れば生成されたものはわかる。それでも、頭の中の記憶が改竄されてしまう可能性は高いだろう。

だから、たとえ自分の写真であろうとも、AIに使うのはお勧めしない。

合理の先に満足はない

ある東大卒業生が、うまくいかない旨を綴ったnoteを見た。
東大を出れば将来安泰だと誰もが考えるだろうが、そんなことはないだろう。日々を楽しく幸せに生きるのに、高学歴はおそらく寄与しない。むしろ幸せから程遠くなる人が多いだろう。

 

というのも、上に行けば行くほど「安泰圧力」「成功圧力」がのしかかるからだ。周囲の期待、自分の中の理想像、過去の選択を正当化したい気持ち。これらが積み重なる。めんどくさい。ないに越したことはない。

 

そしてこれから、仕事や恋愛の相性を、人間よりもAIの方が正確に判別できるようになる可能性が高い。そうなれば、自分の願望に従うより、AIに従う方が「失敗しない」確率は高い。

しかし、それに果たして人は素直に乗れるだろうか?

 

冒頭の卒業生は「やりたいこと」ではなく「費用対効果」で進路を選んできた人物のようだ。AIが出てくる前から、すでに合理性に従って生きていた。その結果として、今を失敗と判断している。合理的に選び続けた先に満足はない、ということだろう。

 

私が思うに、今後重要なのは適度な失敗体験を楽しめるかだ。

成功ルートは相対的なものである。誰かにとっての成功は、別の誰かにとっては失敗に見える。世間が「これが成功だ」と提示するルートを歩いても、本人の感覚としては失敗にしか感じない人が大多数だろう。

むしろ、程よくいい感じに失敗体験をする方が、あとから思い出として語れる成功かもしれない。

ゲームマーケットに行ったら同人魂が疼いた

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ゲームマーケットに行ってきた。
ゲームマーケットは非電源系の即売会でボードゲームのコミケをイメージしてくれたら大体ズレがないであろう。
このイベントが大盛況なのである。ボードゲームだけでなく謎解きマダミスTRPGとさまざまなゲームが会議机に趣向を凝らされ展開されているのだ。

 

ちょっとコミケに出ていた頃の同人魂が疼く。


面白そうだ、そういやオフセット本作ったことなかったな、箱からカードからみんな一から全部作ったら楽しそうだな、しかも金がかかりまくって絶対やばい笑とか色々考えてしまうのだ。

 

ゲームマーケットの入場者数を調べてみた。
前回の2025年秋は、二日間で約30000人。なかなかの数字である。初開催は2000年で、入場者数は約400人。なかなかの成長ぶりである。

 

会場にゲーム制作支援コーナーもあったのも好感。


今回はビデオゲームのネタ探しとして行ったのだが、アナログゲームも作ってみたい。

除湿機の衝撃

引越を機に、作業場のリビングの快適性を上げるべく様々な施策をしている。

今回買ったのが除湿機。どうにもジメジメが気になったので、機材の寿命延長なども考慮して購入。

これが効いた。床がスベスベする。床のベタつきは水分だったのだ。

そして、部屋の居心地も向上。余は満足である。

 

驚いたのが、除湿の水の量。

6時間動かしたら満タンになった。タンクの容量は4リットル。

 

まさかの6時間で4リットルも空気中から水分をとったのだ。単純に考えれば4kgぐらい水が空中に浮いてたと。衝撃的である。日々私は溺れかけていたのだ。

 

あと、防湿庫も購入。これまで買おうと思いつつ置き場所がなくて伸ばし伸ばしだったのも、今回は場所もしっかり確保。これで良いマイクを買う気にもなる。

 

7月にはソファも届く。これでほぼ快適リビング計画は完成だ。

 

お金を使いすぎたので、しっかり働く。

小説の「食べ方」

Audibleを聞いているが、ちょっと合わないジャンルがあることに気づいた。


それは、重めな小説。


文字で読むのと違い、「声」という情報が乗っている分重い話がさらに重くなる。


これを良しとするかどうかは人によるだろう。私にとってはなかなか聞き続けられない。ビジネス書か、あっけらかんとした俺強ェ異世界転生ぐらいがちょうどいいだろう。


最近ではAIボイスも増えてきた。しかし、聞いていると必ずしも人間の仕事を奪うとも言えない。感情の起伏のないAIボイスはビジネス書にはちょうどいい。たまに人間のナレーションだとくどいときがあるのだ。


もちろんAIボイスが感情表現をすることも出来るだろう。しかし、冒頭でAIと知って聞くのと人間と知って聞くのではやはりちょっと違う。


どこまで行っても人間は情報を食ってるのだ。

 

Audibleなんてそれこそ胃に流し込んでいる感覚だ。たまにむせることもある。


食材の調理法には、もっと気を使おうと思うのであった。

ビックリマンシールやキン消しにハマらなかった理由

ボンボンドロップシールが流行る理由の考察記事を読んだ。 ザックリ言えば、シールが欲しいのではなくそれを介したコミュニケーションだと。 全くそのとおりだ。

 

それで自分のことを振り返ってみたのだが、私は小学生の頃に流行ったパッチ(沖縄ではメンコのことをそう呼んでいた)やキン消し、ビックリマンチョコなどに全く興味を持たなかった。 それ自体に魅力を感じなかったというのも間違いではないのだが、そもそもの話、それを介して交流を持ちたい人が周りにいなかったということだ。つまり、そうした流行りグッズだけでなく、周りのクラスメイトにも興味を持たなかったのだ。

 

逆に、私の同級生はファミコンをどうしても欲しがっていて、その理由が「友達の話についていけないから」だった。 それで親にファミコンを買ってもらっていたのだが、そもそもその同級生はファミコンに興味がないのだから、買っただけで話についていけるわけでもない。 私は当時、ファミコンというかゲームはすべて超大好きだったので、その同級生の家でカルノフを遊んだりした。だが彼は知識的にゲーム話もできないし、買ったゲームもこだわりがあるわけではない、ファミコンに抱き合わせでついてきただけのカルノフ。 主体性の無さに呆れたというか、そんなことして仲良くなりたいやつ学校にいるか?と思っていた。

 

そんなこんなで学年が上がるにつれてその同級生とは疎遠になっていった。

 

女の子の場合は、多分私のようにはいかないのだろう。コミュニケーションツールとしてのシールが何を差し置いても重要で、その輪に入れないと大変なことになると小学校の低学年でもわかっている。それはきっと今も昔も変わらない。

 

私は男で良かった。女に生まれて今の性格なら大変な目に遭ってただろう。