来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

私的究極のメタバース的なもの

Meta社(旧Facebook)などが3D空間での活動をする「メタバース」を推進してますが、それはそれで意味があるとは思いますが、私個人としましては、究極的でメタバース的なものはすでに10年以上前からあるんですよね。

それが、Twitterです。

それまでのFacebookmixiと違い、基本的に公衆に向けて発信するというのが特徴です。
ごちゃっと雑多にテキストと画像、動画が行き交うのがとてもカオスで、そこが良いのです。 

私としては、ネットの一番の功績は身体性の排除です。

体を動かすこと、物理的距離からの開放こそがネットの素晴らしさだと思うのです。
コミュニケーションも買い物もキーボードとマウスでサクッとできるのに、わざわざお店までアバターで「移動」という行為をしなければならないことに手間を感じるのです。

そういう点で、今のメタバースというものはネットでせっかく身体性から開放されたのにわざわざ身体を作り出すという逆行に、現状ではあまり意味を感じないのです。

しかしゲームとして考えるのならばその身体性は全然ありです。ゲームはあえて身体性を利用することによって楽しむものですから。しかしそれはもう大昔からすでにやっていることであり全然新しくもないのです。

メタバースは「可能性」から「実用」に進むのか。あと2年ぐらいでひとまずの決着はつくのではないでしょうか。