来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

無邪気に他人の幸せ(不幸)を奪う人

他人が「幸せ」かどうかを気にする人は多いのだが、本人が思う「幸せ」と第三者か見て思う「幸せ」は価値基準が違うので、第三者が「幸せ」だ「不幸だ」と判断することは害悪以外のなのものでもない。

母子家庭で母子仲良く幸せに暮らしている子どもに対し、他人が「お父さんいないの?可哀想ね」と言うことによって、その子どもは日々幸せに暮らしていたはずなのにその幸せが揺らぐ。

 

この「可哀想ね」になんの意味があるのだろうか?

 

自分の境遇の辛さを話した人に「お前なんかまだましだ。世の中にはもっと辛い人がいっぱいいる」と慰めのつもりで話す人がいる。しかし世の中のどこかに居る辛い人は自分となんの関係もない。

 

さらに下の人と比べることになんの意味があるのだろうか?

 

多くの人が考える幸せというものは相対的なものなので、自分のことをなにか比較対象を持ってきて「幸せだ」「不幸だ」と判断するのは勝手。しかし他人の幸せは本人が自分で判断するので干渉するべきではない。

 

「幸せ」と思ってる人に対して「あなたは本当は不幸だ」と言うことが良くないということはわかると思うが、注意しないといけないのは「不幸」と思ってる人を考え方だけで「あなたは本当は幸せだ」と仕向けようとすることは「不幸」を奪う行為であり、不幸という居場所すらとられては路頭に迷うのでやっぱり余計なことはしない方がいい。