来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

【ゲーム】ゲーセンについて

おそらく日本で一番濃いゲーセンであろう高田馬場ミカドの店長、イケダミノロックさんのゲーセンコラムが面白いので、ゲーセン好きな方にはぜひ読んでいただきたいです。


ゲームセンターのお仕事!【第1回】

 

私も高校時代「達人と名人」というゲーセンに通ってる…といいますか、ヘタすると家にいる時間よりこの「達名」に居る時間のほうが長いんじゃないかというぐらい居座ってました。

居座るだけにとどまらず、基板の仕入れに口を出し、筐体をメンテナンスし、ゲーム大会を開き、もはや「無給の店員」状態でした。

 そんな風に首を突っ込んでいるとお店の経営状態もなんとなくわかるので「このゲームはいける!」と自信をもって入れてもらった新作の「虹色町の奇跡」が振るわず、申し訳なくてひとり黙々と50円を入れ続ける日々を送ったり、3000円で仕入れた「ソルダム」が大ヒットして稼いでくれたりと、ゲーセンがずっと続いてくれるようにとひとりで勝手に頑張っておりました。

とても小さな店のなのに、当時のネオジオのリースでは沖縄県内で1番の売上で、SNKの営業の方にはKOFシリーズなどの人気作を先に回してもらったり。

そうしていくとかなりクセのあるゲーセンになっていくので、沖縄県内でもゲームオタク的な人には知れ渡り、人やコミュニケーションノート目当てに遠くからわざわざ遊びに来てくれる方も多くいました。

 

 

そういった経験から、高田馬場ミカドにはすごく親近感があります。

1日1店舗ペースでゲーセンが閉店する中、孤軍奮闘するイケダさんはゲーム機を置いてお客が来るのを待つのではなく、ゲーセンそのものをエンターテインメントとして捉え、毎日のようにイベントを開催しゲーマーを引き寄せています。素晴らしいです。

 

正直、これまでのゲーセン衰退の原因は努力不足だと思います。

私がゲーセンに通い始めた頃から、お会いした個人経営のゲーセンのオーナー・店員の多くはゲームにほとんど興味ありませんでした。

システムが高度になってゆくゲームに対してゲーセンは遊び方の提示もしないし、イベントも開かないし、日々お客さんが来るしかけもしなかった。そんなゲーセンから潰れていきました。

 

私が通った「達名」も、残念ながら15年ほど前に閉店しました。悪あがきはしたんですけどね…居場所を失うことはとても辛かったです。

 

私は今でも、ゲーセンという学校とも家とも関係ないコミュニティこそ必要だと考えています。小学生からいい大人まで、年齢も性別も関係ないコミュニティが「達名」にはありました。学校に居場所のない私にとって、大切な避難所でもありました。

 

そのためにこれからもゲーセンのゲームを作りたい。

そしていつか、ミカドのようなゲーセンを作りたいと考えています。