来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「謝る」ということ

「謝る」ということはとても難しいことだと思う。

前に書いた責任者の責任を理解できない人や、誤解なんかしていないなんかも形は謝罪に見えるけど、中身をちゃんと見てみれば本人は謝罪していない。

 最近も、とある方から「私はやりたいけど事務所に言われて出来なくて」という言い訳の謝罪をされました。あまりにもわかりやすい嘘なので驚きました。


これらの人たちは、きっと非を受け入れるだけの精神の強さがないんだろうなと思ってます。非を受け入れてしまうと自分が耐えられない。だから、それらの言い訳は自分自身に向けているのだろうなと。


小池一夫さんのBLOGの記事はとても素晴らしかったです。

批判を真摯に受け止め、どこが良くなかったかを具体的に考え、そこをちゃんと謝罪しています。批判をしていた人たちも納得するでしょう。

これができる人って結構少ないと思います。一般的には歳をとればとるほど、謝ることに抵抗を感じるでしょうし。


学生の頃に友達と喧嘩をしてそれを先生に無理やり謝罪を強要されたりしてれば、謝罪が理解できない大人になってもしょうがないでしょう。
芸能人や企業がなにか不祥事を起こしたときに、世間が謝罪を強制します。 しかし、要求して出てきた謝罪に意味があるのでしょうか?


謝るということはとても高度で難しい。できれば謝らずに生きていきたいけれど、これからもよく考えるべき項目のひとつだなと思います。