来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

感情のコントロールはどこで学べば良いのか?

小学校では国語・算数・理科・社会を教えてくれるが、世を生き抜く上で必要な感情のコントロールとモノの考え方はどこで学べばよいのだろうか?

本来親から学ぶことではないかと思うのだけど、私の家庭を振り返ってみると正直全然参考にならなかったし、むしろ「考え方」という点では若干ながらマズイ思考を受け継いでしまい、正直迷惑している。

じゃあ学校で教えることかといえば、私の小学校時代の先生は誰もが性格的・思考力的に欠陥があり、全く参考にならなかった。小4の理科の先生は授業中生徒がおしゃべりしてたからと全員並ばせて連帯責任という理由で全員ビンタした。こういうのは教育でもしつけでもなく、先生自身が感情のコントロールができていない証拠だ。

当然こんな人々が授業で感情のコントロールなんて教えられるわけがない。実際そういう授業もない。(一応道徳があるけど、あんな表面的で内面に触れない授業が役に立つわけがない)


ただ、幸いというか、私はそういう人々を「反面教師 」としてきた。だから自分で言うのもナンだが、感情のコントロールはできている方だと思う。

ここで言う「コントロール」とは「抑える」という意味ではない。「抑える」ことだけ出来てもそれはコントロールできていることにはならない。 怒るときは怒る。悲しむときは悲しむということを自覚的に動かしていくということだ。

そこで重要なのは「終わり」を設定すること。ずっと怒り続けるということはしない。怒るということは自分の感情の表明であり、それによって相手を操作しようという意思はない。絶対ないとは言い切れないが、そういうやり方で相手を操作するのはやり方として間違いなのだから、ある程度怒りの主張をしたら、私は終わりを宣言する。私の怒りはここで終わりですと。

自分の感情を表明するのだから、当然相手の感情を受け止めるまでがワンセットであり、自分の感情は表明するが、相手の感情は無視するというやり方は相手を壊すやり方であり、卑怯でフェアじゃない。私はフェアじゃないのは嫌いだ。


…と、ここまで自分が納得いくレベルになったのは20代後半であり、それまでには嫌な過去の振り返りと多くの本を必要とした。

参考になる人がいればもっと早く辿りつけたんじゃないかと思うし、嫌な思いや、間違った考えで間違った道をいってしまうことも無かったんじゃないかと思う。

自己啓発書はとても参考になったが、じゃあ人に勧められるかというと、それをちゃんと解釈するだけの知性が必要だから、ヘタすると誤読する可能性がある。

宗教がそれを担ってくれるかもしれないが宗教も主に「依存」することでの安定という人が多そうで難しい。(それはそれでひとつのやり方だとは思うけど)

人がもっと心穏やかに暮らすための、感情のコントロールの身につけ方。 結局私の答えは出ていない。