来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

娯楽としての「正義」

最近私の中で「正義」が大暴落しています。

正義という言葉を知るのは、おそらく小さい頃のヒーローものだと思います。
正義と悪がいて、正義が悪を倒すというわかりやすいお話。小さい頃はそれを見て正義は素晴らしいと思うわけですが、成長するにつれて世の中「正義」と「悪」なんて二分できるような単純なものじゃないと知るわけです。それが「大人になる」ということでしょう。

ところがどっこい、残念ながらそういう世の理を理解できずに歳だけとってしまった人も多く、そんな人達が周りの迷惑顧みず「俺の正義」をブンブン振り回し暴力の快楽に酔いしれる姿は非常に醜く、「正義と悪の比較」のコピペなんか貼りたくなってしまいます。(しかし検索したらキュレーションサイトばっかりでてきたので貼りません)

特に、正義で動く人の特徴として「自分の生活に無関係の悪に立ち向かう」という傾向があり、家族そっちのけならまだましな方、家族に迷惑をかけながら活動をする人もいて、個人的には悪に立ち向かう前に、ちゃんと家族関係を改善しろよと思うわけです。

一番ミニマルな人間関係は親子だと思います。その関係性を良好に出来ない人が語る正義や平和なんて机上の空論も甚だしい。

身近で起こるストレスのはけ口・娯楽としての「正義」は、SNSとの親和性の高さもありまだまだ拡大すると思います。

「正義」を娯楽されるのは社会的にとても迷惑なので、娯楽産業に関わってる身としては、なんとか「正義」より楽しい娯楽を開発しなくてはと思うのであります。