来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

もっと気軽に辞めていい

みんな「辞める練習」が足りてない|野本響子|note
昨日の何気ない連続ツイートが1万リツイート超えて驚きました。 日本ではいじめや過労死で自殺する人がいるというと、マレーシア人にはなかなか理解してもらえません。マレーシア人は、嫌な職場や嫌な学校は辞めてしまうからです 「やめ方がわからない」と人は辞めることができない 実は私も最初の会社を辞めるのに5年かかりました。 テキトーな性格なのに金融機関に就職してしまい、そもそも仕事の質が全く自分にはあっていませんでした。それでも周囲には「5年は続けなさい」と言われ頑張ってしまった。それまでの人生で、寄り道や途中でやめるという経験がなく、どう辞めていいのかすら、わから
note.mu
めちゃくちゃ良記事。

日本人はもっと気軽にやめていい。

なんでそれが出来ないかは、この記事にあるように

学校も会社も、「一回始めた人が最後まで続ける」ということを前提に、社会が作られています。受け皿がなければ、簡単に辞めさせることもできないです。だから「辞める練習」には適さない国なのですよね。

これが原因だとは思う。しかし、辞めずにがまんする必要はない。辞めたら辞めたでなんとかなるものです。

私が初めて自分の意思で辞めたのが、小学四年のときの「そろばん」
そろばんは、おそらく小学一年のときから通い始めました。「おそらく」というのも、自ら志願したのではないので記憶が全然ないです。そのぐらい興味がなかった。

小学四年になって、たまたま見た新聞のエレクトーンの広告を見て「これだ!」と思い、母に勇気を振り絞って「そろばん辞めてエレクトーンを習いたい」と言いました。

私の人生の中で一番重要な選択肢は、受験でも就活でもなく、この小4の「そろばんを辞めてエレクトーンを習う」でした。

それがあるから今、作曲家をやれてるのです。

この経験があるから、私は結構気軽に辞めます。
それでもなにかを辞めるというのはなかなかのストレスにはなるんですが、私は知ってるんです。辞めて解放されたときにだけ見える広い世界が存在することを。だから辞められる。

やりたくないことにかけた時間は、やりたいことにかけられたはずの貴重な時間です。その時間は二度と取り戻せませんから。