来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

安心と安全

よく「安心・安全」という表現を企業が使いますが、基本的に「安全」ならば安心するはずなので「安心」はいらないはずなのに、わざわざ「安心」も表記しているところが興味深いです。

それは企業の言う「安全は信用できない」というのが一つの理由で、原発関連で東京電力がやってきたことなど考えれば、まあしょうがないかなと思います。

ただ安心というものはとても主観的なものであり、安心できるかどうかは事実と無関係だったりします。世の中潜在的なリスクはさまざまありますが、それを知らなければ結果的に「安心」ということになります。しかし潜在的リスクを知ってしまうと「不安」になります。この差は知ってるか知らないかです。

また、知っていても無視するリスクもあります。特に交通事故。2021年で交通事故件数は30万件を超えているのですが、日々それを怖がっている人はほとんどいません。私からすればとても不思議です。

さらに不思議なのが、特定の不安要素(ワクチンなど)に対し嘘をついてまでその危険性を煽る人たちが謎です。嘘をつかないと危険性を訴えられないということは、つまり身近にそのリスクは少ないということで矛盾しています。

人が日々をより良く生きるために一番必要なことは不安との付き合い方だと思います。不安は不幸と密接につながっています。不安との付き合い方を間違えると健康を害したり騙されたりします。つまり不幸になり更に不安になる悪いスパイラルです。

そんな不幸を回避するためには、正しい情報の取得と冷静で客観的な判断が必要。

その客観的情報を出してるのが「国」だったりするんですが、恣意的な部分がないとは言い切れないけど、分析、判断をするには有用でしょう。

しかし、なんで人は「隠された真実」「陰謀」なんてものに惹かれるんでしょうね?