来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

ケータイと死

愛ちゃんは「日本のモンロー」 各人が別れ惜しむ (1/3ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090302/tnr0903021033004-n1.htm#

 ホンジャマカ恵俊彰(44) 「つながらないのは分かっていたが、今朝、あなたの携帯に電話した。携帯の番号は消しません」

 本格的にケータイが普及して10年ぐらいになると思うが、その間に親しい友人を亡くした方は解るであろう、ケータイのこと。

 
 私も2000年に親しい友人を亡くした。それはあまりにも突然で、死の1週間前には会って「今度はkanonのキャラで対戦シューティングゲームを作ろう!」なんて話していた。

 葬式って「死」を知らしめるためにやるイベントなんだなってそのとき気づいたが、それでも受け入れなければならない現実と受け入れられない感情が入り交じり、なにがなんだか解らなかった。


 葬式の帰り、一緒に行った当時の彼女がケータイを見つめながら一言。


「かけたら出てくれるかな?」


 この言葉が一番キツかった。

 ケータイってなんて残酷なんだろう。ケータイはパーソナルなツールだから、直接連絡を取りたい相手につながる。家でも外でも、遠くに居たって話ができてしまう。距離を0にしてしまう魔法のツール。ケータイ/ネットでの、距離を超越した顔を見ずにコミュニケーションをとることに慣れている人は、死を受け入れることは特に難しいかもしれない。


 mixiが1000万ユーザーを超えて、その中から毎日亡くなっている方が少なからずいるだろう。死んだ人の日記の更新は止まり、ネット上に残り続ける。マイミクのアイコンを見るたびに思い出し、絶対ないとわかっているのに、更新されることを心のどこかで期待してしまう。


 私はケータイから亡くなった友人の番号を消しました。私はそう行動することで、死を受け入れました。ホンジャマカの恵さんみたいに残しておく程強くはなかったみたいです。