来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

人生の墓場

「結婚は人生の墓場」なんて言われるけど、昔はどうか知らないが今は割と上手くやっている人が結構多いんじゃないかなぁと勝手に思っている。

なぜなら、うまくいっている人は、わざわざ余所に「うちは幸せにやってますよ」なんて言いふらさないから表に現れない。その点、うまくいってないひとは友だちにはパートナーを悪く言うし、mixiは旦那・姑への愚痴日記で埋め尽くされ、発言小町の荒れっぷりは凄まじい。不幸は不幸で自慢にもなり、コンテンツになる。

とある女性のWEB日記でおばあさんから「女は結婚したらいろんなことを耐えて子どもを産み育てるものだ」なんて言われて納得してるようだったけど、こういうのはおばあちゃんの知恵袋でもなんでもなくて、そのおばあちゃんはそうせざるを得なかっただけだ。昔だから自由に結婚相手を選べなかったかもしれない。それを一般化して発言してしまうのはおばあさんのセカイがひどく小さなものだからで、「今」を生きる女性がそんな時代錯誤な言葉に共感してしまうのは、たまたまその女性がおばあちゃんと似た境遇にあり「みんなが辛い思いをしているんだから私が辛くてもしょうがない」と自分を納得させるためだ。こういう人の思考では不幸は相対的なものであり、自分の不幸が他人の不幸と同程度であれば、自分は不幸じゃないし、他人が自分より不幸であれば自分は相対的に幸せ、ということになる。「他人の不幸は密の味」ってやつ。

多くの人はノロケ話を嫌うがそれは、他人の幸せそうな話は相対的に自分を不幸のポジションにもっていくからだと思う。でも、実際は他人が幸せになることで実質的被害を被ることはあまりない(まれに彼女とられたとかあるかもしれんが)のだから、私は他人にはじゃんじゃん幸せになって欲しいしノロケ話ぐらいいくらでも聞いてやるのだが。不幸話の方が「金貸して」ってなったりするし嫌な気分になるし。

うちは今のところ墓場感はない。将来はどうか知らないけど。