来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

世の中の大半は理解する必要はない

当事者でない人間が、当事者の立場で理解することは不可能です。

 

世の中、理解できてないことがほとんど。電子レンジがどうやって温めているか、車がどうやって走るのか、スマホがどうやって動いているか。それを理解できないから使わないという人はいません。(まれに飛行機が飛ぶことを理解できないから乗らない人はいますが)

メリットがあるのなら、理解は必要ないです。しかし、なにかしらのデメリットがある場合、人はよく「理解できない」ことを盾に拒否します。

 

「理解できない」の正体はデメリットです。それは「経済的」「教義に反する」「なんか嫌」「気持ち悪い」など。

 

また、デメリットはなくとも、メリットがなければとりあえず否定することもあります。デメリットが今後あるかもしれないから。

 

「今の自由」がこのまま続くかは、寛容さにかかっていると思います。今は少数派を「理解できない」と批判する立場でも、情勢が変われば突然自分が「理解できない」と批判される側になる可能性は十分あります。

 

世の中もっと寛容に、認めることから考えていく必要があります。ここで言う寛容とは「理解できない」存在を認めることです。そして、ある程度のデメリットは受け入れること。そうすることが自分の自由を守るという「メリット」なんです。

 

寛容さなくなるとき、未来は規制にがんじがらめにされた地獄しかありません。