来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

教えない体育教師という存在

togetter.com

前回のブログ記事のあと書こうと思ってたことが、ちょうどTogetterにまとまっててすごくタイムリー。

 

私も、体育でちゃんと何かを教えてもらった覚えはなにひとつ無いです。

 

ある日の体育の授業。体育教師の「今日は野球をやる」のひとことで、あとはほぼ放置。当時の私は野球のルールをよく知らなかった。当然ながら足手まといです。知らないのだから。

サッカーの授業のときもルールの説明はなく試合開始、勢い良くボールを蹴って走ったら審判から「オフサイド」と言われる。そのオフサイドってなんだ?まずそれを説明しろと。

野球みたいな「国民的スポーツ」は知ってて当たり前だと?

こんなのばっかりです。

 

 

アメトーークに「運動神経悪い芸人」というのがありますが、あれは幼少期に「走る」「投げる」等の動きを見よう見まねで間違って覚えてしまったためだと考えています。

 

私は小さいころ、ボールを投げると上手くコントロールできない上に、肩がすぐ痛くなりました。そんな私の投げ方を見た父が、ボールを投げるときの腕の動かし方を教えてくれて、それだけで肩が痛くなくてコントロールのいいボールを投げられるようになりました。

ほんの30秒ほどコツを教えてくれただけです。

実は肩の痛い投げ方というのは、自分ではテレビで見た野球選手の投げ方を真似ているつもりでした。それが大間違いだったのです。

 

きっと大多数の人はボールの投げ方や走り方など、感覚でなんとなく出来てしまうと思います。しかし、感覚でできない人も少なからずいるのです。

出来なかった人たちをフォローする仕組みが必要ですが、私の知っている体育ではそういう機能はありませんでした。出来ない人は「運動神経が鈍い」「運痴」というレッテルを貼られるだけ。そうなると、あとは苦手意識と失敗のスパイラルです。

 

人間の資質なんて大差はないと思います。それが、たまたま上手くいかなかったり間違って覚えてしまったことによって恥ずかしい思いをして、それを大人になっても引きずってしまう。

早いうちにちょっとコツを教えてくれる人がいたら、人生が変わってたかもしれないのです。

 

私が義務教育を終えてからずいぶん経ちますが、状況はそれほど変わっていないようです。

 多分これは個々の体育教師の資質の問題ではなく、体育という教科の目的が明確になっていないからだと思われます。

いつまでもトラウマ生産工場では教育としては最低でしょう。しっかりして欲しいです。

 

体育で検索したら、体育教育の問題点が綺麗にまとめられる方がいました。すごく良い記事なので、読んでみるといいかも。

 

学校体育における現在の問題点

http://www.gpwu.ac.jp/~kamiyama/kenkou1-4.html