考え方でよく例えられる、コップ入った半分の水。
これを「半分しかない」というか「半分もある」というか。
そこは主観でしかないのだけど、この水が500mlならば、500mlであることは事実。
しかし、この事実の部分を認めない人が世の中には存在していて「それは水じゃないかもしれない」とか「私にとっては水ではない」とかもはや関係ないことを言い出す。
議論をする上で、客観的事実を共有しないまま印象と思いつきを綴ることを「批評家」というのであれば、批評家というのはかなりエキセントリックな職業だなと思う。
最近うちのめろこ。や手登根とネタで話している
「あのビルはロックか?」
「ロックだね」
「あの焼肉屋はロックか?」
「あれはロックじゃない」
というやりとりも批評なのだろう。めろこ。と手登根優貴は批評家であった。