来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

批判への批判


TwitterでこういうRTが回ってきました。

「ナルト 手抜き」で検索すると、たしかにそういうツイートが多く見られます。

しかし、マンションなどの構造物ならともかく、アニメ等のコンテンツへの批判で「手抜きをしている」というのはどうもしっくりこないです。

なぜなら、必ずしも手間をかけなかったら面白くなくなるとは限らないからです。同様に、ものすごく手間をかけたら面白くなるとも言い切れません。


ここでいう「手抜き」は恐らく、シンプルな絵面を3DCGだと誤解し、その絵面が好みじゃないことを「(自分の好みに描いてくれないから)手抜きだ」 と言ってるように思います。

ならば素直に「好みじゃない」といえば済む話なのに、下手に「手抜き」なんて言葉を使うからその単なる感想に対し批判が生まれてしまう。ちょっと表現がよくなかった。


批判というものは力が強いのでその批判にスキがあれば、反論を受けることになります。
Twitterのつぶやきであろうとも、それは140文字のコンテンツであり批判の対象です。そこに有名も無名もありません。

個人的にはTwitterでのこういうやりとりはとても面白く好ましく思っています。好きなことをつぶやけばいいし、そのつぶやきを見た人が思うことがあれば、それも書けばいい。空リプでいいし、そこで直接論争をする必要はないです。

批判を受けた人も別にそれで思ったことを改める必要はないし、 萎縮する必要もないです。

 誰にともなく、言いたいことをゆるーく言える空間がずっとあってほしい。



自分は自由に発言するが、他人の発言は封じようとする。そんなダメな大人にはならないように。