来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「生理的に無理」問題

「生理的に無理」は、差別の根源です。

だから人間は他人に対しての生理的嫌悪を、社会性によって克服するわけです。「差別をなくす」とは差別の気持ちをなくするということではなく、差別の気持ちがあってもそれを抑えるということです。

しかしながら、この「生理的に」という言葉を使うことによって、あたかも自分には問題はなく「生理」なる別人格のせいにしてしまうのはとても卑怯なやり方であり、日ごろ使う言葉としては不適切だと思います。

差別はよくないということが世の中に周知され始めると、どうもこのタイプの「隠れ差別ワード」が出現してきたなって思います。女子力とか。


じゃあ禁止にするみたいなのはそれはそれで窮屈なので、特に言葉を操るメディアは今一度言葉に潜むあれこれを考えてほしいものです。


特に新聞。良い歳したおっさんの差別観が滲み出る新聞は本当に怖い。


前にも同じような記事を書いた気がするけど、LINE BLOGは検索弱いから探せないのでもう一回書く。