来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「ブスいじり」「ブサイクいじり」は、実はそれをいじっているわけではない

最近はお笑いでも「ブスいじり」「ブサイクいじり」がやりにくくなっているようで、とても良いことだと思います。
昔見たバラエティー番組で、私の目からは特に容姿が悪いと思わない女性のお笑い芸人さんがブスエピソードを話していました。その雰囲気がなんとも必死な感じで、まるで自分をブスだと認めてもらいたいような感じすらありました。
また別のバラエティー番組でも、私の目からは特に容姿が悪いと思わない男性お笑い芸人さんが、ブサイクエピソードを話していて、それを周りの芸人が「そうだなお前ブサイクだからな」と、まるでフォローするような感覚でその「ブサイクキャラ」を強調していました。
このふたつはとても妙な光景で記憶に残っています。自らを「ブス」や「ブサイク」とすることで、なんとか仲間に入れてもらおうとしているようにしか思えなかったのです。
で、わかったんです。この人たちは別に「ブス」とか「ブサイク」という理由ではなく、実際には「弱者」だから「強者」に受け入れてもらうための生存戦略としてそれをやっていたのです。
強者が白を「黒」と言えば黒になるところです。強者がブサイクといえばブサイクなのです。弱者は受け入れるしかありません。
また、強者は何も言わなくても弱者が取り入るために弱さを強調することもあります。この場合は強者は全く何も手を下していない分足がつかずタチが悪いです。いわゆる「忖度」です。
本質は全てパワハラに収束します。単純に「言う立場」と「言われる(言い返せない)立場」の問題なのです。

パワハラをしてはいけない理由」がTwitterトレンドに上がってましたが、私としては「パワハラをしてもいい理由」を問いたいです。
バラエティー番組で「ブスいじりをして」とカンペを出すディレクターは、どう言う理由でそのパワハラをやって良いと思ってるのか、説明してほしいです。