来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

ワクチンは「服」のようなものだと思うのです

感染症のワクチンを打たない人の仕事や行動を制限することを「差別」と表現するのはどうかなと思うのです。
これからは、感染症のワクチンを打つという行為は社会に参加するにあたって必要なことだと思います。それは身だしなみのようなものです。
裸で外を歩いたら捕まります。これはほとんどの人が理解すると思います。しかし裸でも自分の家に居るのであれば捕まりません。自分の家に居るのであれば裸でも誰も文句は言わないのです。

もちろん体質等でワクチンを受けられない人もいますし、その人たちの行動はできるだけ制限されるべきではありません。
副反応を恐れてワクチンを受けないというのも理解はできます。ただ、社会に参加する上で制限は受け入れる必要があります。
また、並行して行政もワクチンによる病気や後遺症への補償も明確にすべきです。
個人の最適化と社会の最適化はどうしてもぶつかります。今後ワクチンが「服」のようになれるかが世界が平穏を取り戻すポイントかなと思います。