来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

フィクションとリアリティ

相変わらず漫画を大量に読んでいるのですが、たくさん読んでるうちに心構えとして決めてるのが「設定・展開をそのまま受け入れる」です。

ものによっては「そりゃないだろう」って思ってしまう設定や展開があります。でも、それが作品の本質と関係ない場合は無視してしまうのです。特に転生モノを大量に読み始めてからは、車に轢かれて転生というお約束自体に「もういいだろう」と感じてしまったりもするのですが、そこはさらりと受け流す。

それでもこの設定はちょっと受け付けないなと思ったらそこで読むのを終わりにする。これは作品の善し悪しとは関係なく私自身の問題でしかありません。

たくさん読んでて思うのは、フィクションとリアリティのバランスはかなり難しく、 ファンタジーなのに変に一部のことだけ現実の法則を入れ込んでくるとやっぱり違和感はでてきます。しかしそれも描き方次第で、そこに作者の手腕が問われるなとは思います。

特に転生者はネタがかぶる、というか人気作から取り入れてる作品も多いのでどうしても似てくるわけですが、似てくるからこそいかに演出で自然に伝えるかが重要になってきます。

最近読んでて楽しんでいるのはその演出部分ですね。だからあえて「聖女」とか「スローライフ」とか似た作品を選んでいます。

そんな私も受け入れられない表現がひとつだけあり、それは中盤以降に偶然やつまらない失敗で展開を作ろうとするのは受け流せず、そこで読むのをやめてしまいます。

物語の最初に偶々車に轢かれるのはいいのです。導入ですから。
しかし、物語も後半だろうというときにヒロインが偶然好きな男の子が別の女の子と会ってる場(この二人も偶然会っただけ)を目撃するみたいな展開で話を進めるのはちょっと無理です。じゃあもうこれからの展開も全部偶然でいいじゃんって思ってしまうのです。

この偶然にも「リアリティ」があると思います。偶然・幸運の連続でもうまく描いてくれたら納得できるはず。

私は作品に説得されたいのです。