来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「スポーツ嫌い」は「スポーツ」が嫌いなわけじゃない

https://note.com/daitamesue/n/nf78ba24d43d7

為末大さんが「スポーツ嫌い」について書かれてます。

為末さんが書かれてるように、多くの人が体育の授業でスポーツが嫌いになっています。

ただ、実際のところはスポーツを嫌いになってるのではなく、スポーツをやる人、教える人の人間性によって嫌いになっているのです。だからほんとは「スポーツ嫌い」ではなく「スポーツに関わってる人の無神経な人間性が嫌い」なわけです。実際、スポーツ嫌いだった人がスポーツクラブでちゃんとしたトーレーナーがついたり、または人と関わらずに運動できるフィットネスクラブが増えたことでスポーツに抵抗が無くなる人も多いのです。


この「スポーツ嫌い」、これはスポーツに限らず「音楽嫌い」「美術(絵)嫌い」も同様に起こりえます。ただ、スポーツが人口が多い分飛び抜けて無神経な人間が多いだけでです。 

アメトーークの「運動神経悪い芸人」「絵心ない芸人」での認識を考えればわかるでしょう。お笑い芸人が「運動神経悪い芸人」「絵心ない芸人」と称して、笑いと取るのではなく、その能力を笑われにいくのです。

このアメトーークの一番の問題は「運動神経悪い芸人」「絵心ない芸人」という風に自分はそういう特性であると認めていることだと思います。つまり、自分は訓練しても伸びない先天的ものというポジションをとっているのです。

しかし、運動も絵も9割の人はちゃんと訓練すれば上手くなります。ただその機会が無かっただけです。運動神経が悪いとか絵が下手というのは、幼少の頃に先入観や勘違いで間違ったやり方で覚えてしまった結果です。生まれ持った特性ではありません。

私が小さい頃、ボールを思いっきり投げようとすると方がすごく痛かったのです。それを父に「肩を動かしすぎる。肘を動かせ」と動きを教えてもらいました。ほんの10秒ほどの指導でした。そのたった10秒でボールを投げるときに肩が痛くなくなり、ボールも遠くに飛ぶようになりました。
この10秒の指導がなければ、 今でも変なボールの投げ方をしてたでしょう。このちょっとした指導をしてこなかったのが体育の授業です。

運動神経が良い人の多くは、たまたま間違わなかった人でしょう。その運動では間違わなかった人も音楽では音程のとり方を間違えて「音痴」と言われたりするのです。

義務教育で取り入れながら最初から出来る人を前提に授業をし、出来ない人を「運動音痴」と切り捨てたから、たまたまうまくいった人といかなかった人に分かれたのです。

それで出来ない人を本人の責任だけとするのは違うと思います。