来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

詳しくない人ほどすぐ「似ている」と言う

最近はよくパクリやトレースで炎上しますが、実際のところなんの問題ないものが多くむしろ提起する側の資質のほうが問題になっている気がします。

過去の作品を真似するというのは創作の基本です。 あとはその真似の程度と意図の問題です。パクリやトレースを指摘する側はそこを理解する必要があります。

しかしここ最近のパクリトレース提起の多くは無知やセンスの欠如によるものが多く厄介です。つまりは「演歌は全部同じに聞こえる」問題の発展したものなのです。

基本的にコンテンツというものは様々な型があり、その型に沿った上で積み上げながら少しのオリジナリティを練り込んでいきます。だから、見方によっては全ては過去のなにかのパクリになるのです。

ある程度量を摂取している人なら、その多くのコンテンツから型を発見・理解してコンテンツごとの差異を楽しむことが出来ます。
しかし、極端にコンテンツに触れる機会が少ないにもかかわらずその少ない機会の中に大好きな作品を見出した人は、その大好きな作品を基準にして多くの作品がパクリ・トレースに見えてきます。

若い人ほど知ってる作品の少なさとそのパッションの強さゆえに、パクリと言い出す率が高いでしょう。 

この問題は良い解決策がなくベターなのが無視なんですが、それはそれで無知が寄り集まって大炎上の可能性があるので難しいです。

ただひとつ言えることは、第三者にパクリやトレースを感想として「似てる」などと表現の自由はありますが、著作者に代わって提起する権利はこれっぽっちもないということです。