来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

ファンタジーな「学園もの」とリアリティな「異世界もの」

私は「学園もの」って基本的にファンタジーだと思ってます。設定としては現実的だし魔法も無くて超人的な能力もない。それでもファンタジーだなと思うのは「話が通じる」ということ。
特に少女漫画だとキャラクター間がちゃんと会話している。若くて精神が未熟でも、それが例え不良キャラであっても、各々の立場でちゃんと会話が成立するのです。
私はそこを羨ましいと思うのです。自分の中学時代を思い返すと、そもそも話が通じないと感じる人が多かったのです。漫画と現実の大きな違いは会話の成立だというのは強い実感としてありました。

現実って、驚くほどに話しの通じない人が多いのです。

最近読んだマンガ『復讐を誓った白猫は竜王の膝の上で惰眠をむさぼる』は異世界転生もので魔法や精霊が出てくる現実とはかけ離れた世界。だけど、主人公には話が通じない幼馴染がいて、そこにリアリティを感じるのです。




もちろん、その「話の通じなさ」を描く作品もたくさんあります。
私はこの話が通じる人々の物語(ファンタジー)と、話が通じない人々の物語(リアリティ)を半々ぐらいでバランスよく読みたい。

『復讐を誓った白猫は竜王の膝の上で惰眠をむさぼる』は最近の私のお気に入り。特に絵が好き。