来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「才能」への理解の無さ


少し前に、とある議員さんが作文の書き方メソッドを学校が配布してたことに対し「子どもが型にはまってしまう」という旨のツイートをして、批判を受けておりました。

こういう「型にはめる」ということで自主性、創造性が失われると勘違いしている人はかなり多いと思います。

実際のところ、「型にはめる」ことで自主性、創造性が失われることはありません。なぜなら、才能があるものは型にはめようとも勝手にはみ出して今うからです。

じゃあなぜ「型にはまった人間」が量産されるかといえば、それははみ出した人間を叩くからです。問題は「指導法」ではなく「評価法」です。問われているのは評価する側の資質です。

つまりは「自主性」「創造性」を養うなんて言ったところで、評価する側がそれを理解する資質がないのでは全く意味が無いのです。

「才能のある人間」が存在できるのは、「才能を認める人間」が存在するからです。


評価する側の改善をせずに才能は育ちません。
本当に改善すべきは、評価基準の明確化と例外に対応できる柔軟性です。