来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「空気を読む」ことを常識化したくない理由

発達障害の子供が「やる気がないなら帰れ」と言われ帰ってきてしまった。「空気を読む」事を伝える難しさについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1011426

 私も空気を読まない人間なのですが、いわゆる「空気を読む」ということが常識となることに私は反発したいと思います。

なぜなら、この「空気を読む 」というのは対等な立場ではありません。


「空気を読ませる側 」



「空気を読まされる側」

のどちらかになります。


当然「空気を読まされる側」が立場的に弱く、お互いに空気を読み合うのではなく、一方的に空気を読まされ続けることになるのです。

空気を読ませる側は、言い難いことすら負担せずに「空気」としてすべて立場の弱い側に押し付け圧力をかけます。「誠意を見せろ」とかね。


 こんなの文化でもなんでもなく暴力でしかありません。

対等な立場だったら「空気を読む」なんて言葉使わずに済むはずです。


上のTgetteerの「子供が担任から「やる気が無いなら帰れ」と言われて帰ってきてしまった。」なんてのは、担任が感情的になり暴力的な言葉をぶつけている教師として失格といえる行為なわけで、それをなんでぶつけられた側が空気を読んであげる必要があるんでしょう?


日本って立場の弱い側が強い側に合わせ過ぎだと思います。
空気を読ませようとする人間なんかと関わる必要はありません。

 もっとみんな空気を読まなくなれば、世の中良くなります。





Twitter


来兎のLINE@始めました。音楽制作の近況などお届けします。

ID:@raitosound

友だち追加数