来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「理解されない」は発信者側のせいです


このツイートのに関して「空気を読む練習だ」という旨の発言をする人が居たので、私の考えを書いておきます。

世間ではやたらと「空気を読む」ということが言われますが、コミュニケーションにおいて理解の責任を負うべきは「空気を読む」受信者ではなく、発信者側にあると断言します。

私はコミュニケーションの理解の責任は

発信者側 8:2 受信者側

だと考えています。

なぜなら、これから発信される内容は発信者側しかわかりません。発信者側は受信者側の理解力をある程度予測できます。

そのため、発信者は受信者の理解力に合わせてこれから伝える内容を分かりやすくアレンジすることができます。 しかし受信者側は、これから発信者側が伝える内容を知りません。だからその内容に合わせて今すぐに理解力を上げることはできません。

にも関わらず、なぜか世の中はわからないということを受信者側の理解力のせいにすることが多いです。

これは発信者側の怠慢です。

国語という教育が、言葉を使って相手に情報を伝えること教えることであるのなら、冒頭のツイートのようなテストを出す先生は国語ができていないと言わざるを得ません。 生徒ではなく、伝えるべきことをちゃんと伝えられなかった設問した人(あるいは採点した人)が減点されるべきです。