来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

人は傷を負いながら生きてゆくものなのか


左手首に違和感があるなと見てみたら、直径1cmほどの擦り傷ができていました。この部分は腕時計のベルトで隠れているのです。寝る前1時間の充電のときしか外さないのでその1時間で出来た傷としか考えられないのですが、全く心当たりがないのです。
小さいとはいえ、このぐらいの傷ならぶつけたとき気づかないか?と。

しかし人間の慣れというものは恐ろしいもので、二十数年前にファミレスでバイトしていたときのこと。
跳ねた油が右腕についたのに気付いたにも関わらず忙しいからいいやとそのとき無視していまいました。仕事終わりに腕を見てみたら、4cmほどの火傷になっていました。意識すると激痛い。
でも、ファミレスの厨房なら油の一つや二つ跳ねるよねーと、油がついた瞬間は気にしなかったのです。この火傷のあとは10年以上残っていました。(逆に10年以上残ってた火傷のあとがいつのまにか消えててびっくりでもあります。一生残ると思ってた)

そんなことがあったので、擦り傷程度はもはや脳がザコだと無視しちゃうのかな、とも思います。
小さい傷もいちいち痛い痛いと気にしてたら生きるのも大変です。だから気づかなかったとて別にいいのですが、こうして傷を認知してしまうと、実は日々何かしら傷を負いながらも気づかないふりをしながら生きてるのかなーと思ったり。気づかなくても傷は存在するのです。それなんか怖い。
そんな知らないうちについた傷の数、はあんまり知りたく無いなぁと思うのでした。