来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

人生を「ガチャ」で考えるのはアリだと思う

「親ガチャ」という言葉が若者に流行しているらしいです。

あと「時代ガチャ」「地域ガチャ」というのもあります。これも人生への影響がとても大きい。

ガチャという言葉はなかったですが、考え方としては普通に昔からあります。
私は「親ガチャ」は割と恵まれている方でした。父が新しもの好きで公務員。欲しいものは結構買えたし、そのおかげで小学生のうちからパソコンを使えました。おかげで今の音楽の仕事ができています。(しかし、親は私に公務員になってほしかったので、親的に「子どもガチャ」は微妙だったかもしれない)

「時代ガチャ」は半々というところでしょうか。まずなによりパソコンの普及。子供の頃はビデオゲームの勃興、家庭用ゲーム機の発売などでかなり楽しい日々を送っていました。
しかし、成人後はいわゆる「氷河期世代」に当たります。ただ、人間的にだらしなく、ちゃんと就職をしなかったため結果的に氷河期的な辛さに直面することはありませんでした。ただただラッキーでした。

「地域ガチャ」は正直悪い方かなと思ってました。沖縄は小さい頃から県民性が合いませんでした。いいところと比較してもしょうがないのですが、毎年夏休みに沖縄に来てた東京に住むいとこから聞く話は刺激的だったし、ベーマガやログインなどパソコン誌の広告も東京中心で
とにかく羨ましかったです。ただ、今はまあまあ悪くなかったなぐらいになってます。評価は時間経過でも変わります。

今の若者は若者なりに思う「ガチャ」があるでしょう。自分の環境を見つめる上で、人生を「ガチャ」で考えるのはアリだと思います。世の中、外的要因や運で人生の多くが決まります。それを本人の行動次第で夢はなんでも叶うみたいに言うのは極端で無責任ですから。

そして、うまくいかない理由をすべて外的要因のせいにするのも極端だと思います。

ちゃんと要因を切り分けることです。できることとできないこと、自分の問題か他人の問題か?本来国や経営者が考えるべき問題を末端の市民に転嫁してないか?
最近自己責任論が後退してきてるのは、とても良いことだと思います。世の中のせいにすることは、逃げではありません。

この「ガチャ」はソシャゲから来てるものでしょうから、こんなふうにゲームが社会に影響を与えたのなら、ゲームはしっかり世の中の役に立ってるんじゃないかと思います。