来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「殴っていい人を探しています」的なやつ

女性VTuberと警察のコラボをフェミニスト議員の団体が講義してやめさせてたのだけど、こういう団体に透けて見えるのが暴力性。
実のところは、その組織のメンバーの暴力欲求が先にあり、それを向ける先を探しているように見えるのです。常に力を行使する先を探しては、抗議という暴力を振るいカタルシスを得ているのでしょう。
不思議なことに平和的な団体ほどこういう行動をすることが多いです。平和的な団体という傘を作り「善良な我々」を演出し自らは攻撃されない立場を取るためです。(本当に平和的な団体にとっては迷惑でしょうね)

なんでそう思うのかといえば、この手の人達には行動に一貫性がないからです。本来フェミニストというのは、女性の地位向上や自由の範囲を広げていくことが目的のはずです。しかしながらネット上の多くの自称フェミニストの方々は女性の服装や行動にケチをつけ制限しようとするのです。本来の真逆です。

しかし行動に一貫性という「芯」がない人たちですから、方方から突っ込まれるわけです。そして反撃にはてんで弱い。そもそも「芯」がないのですから理念という防御力がないのです。ここで「善良な我々」に「弱者」を足して逃げ回るのです。こんなに力のない弱い私達を責めないでくださいと。

他人の行動を制限するということには大なり小なり常に暴力性が伴います。このフェミニスト団体への反撃する側も暴力欲求のはけ口として攻撃しては、焦点がボヤけます。

だから、きっちり問題点を指摘し、落とし所を作る必要があります。攻撃することが目的でないのならば「絶対に許さない」「死ぬまで追い詰める」とはならないはずです。

人間には誰しも必ず暴力欲求はあります。社会性のある人間ならばそこに無自覚にならずに、暴力性を認めちゃんと飼いならす。議員になるのならその程度のことはちゃんとしていただきたいものです。自分の暴力性を認められないのは、単なる弱さですから。