来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「話せばわかる」という言葉への固執は選択肢の放棄

そこそこ長く生きていればわかることですが「話せばわかる」という言葉、全然そんなことないですよね。そもそもちゃんと対話をしようと思ってない相手に話し合いで物事に折り合いをつけようというのは無理なのです。

もちろんできる限りの対話は必要ですが、すでになんらかの暴力の行使を始めている相手に対して「話をしよう」なんていうのは単なる思考停止、選択肢の放棄でしかないです。そして、対話がうまく行かなかったとき、諦めるだけというのも駄目だと思います。

常に対話以外の選択肢も含めるべきです。血縁関係、婚姻関係なら縁を切るという選択肢もあるでしょう。勤める会社相手なら辞める、訴える。学校でいじめられてるのなら、学校ではなく警察、弁護士での対応など。

一度そうやって自分の嫌なことを突っぱねるという経験は、その後の人生の大きなプラスになります。


日本人は優しいというより単に臆病で、すぐに報復されることを想像するのでこういう部分弱いですよね。もっと自分にできる行動をしっかり行使するべきだと思います。反撃されないと思われるから立場が弱くなるのです。
同じく国同士のやり取りでも、今の日本は素人目にも思慮が浅く現実を見てないので、本気で国を守るつもりがあるのならちゃんと選択肢を用意すべきだと思います。