来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

復刻レトロゲームの再現性の是非

最近はレトロゲームが最新ゲーム機などで遊べるようになりました。その際のゲームの再現性がちょっとマニア界隈で話題になっています。 

私もタイトーのイーグレット2ミニというゲーセンの筐体を小さくしたレトロゲーム機を最近購入しました。このイーグレット2ミニのゲームの再現性は、入力遅延(ボタンを押してからゲームが反応するまでの時間)が大きく、正直ゲーム機としてはいまいちなとことがありました。

しかし、今回私が購入したのは遊ぶためではなく、この小さいゲーム筐体という形と、フェアリーランドストーリーというゲームが収録されてて、それの音を聴くためでした。だから特に不満はありません。

しかし、これを遊ぶゲーム機として買った人は、入力遅延に不満を持つんじゃないかと思います。
私も遊ぶために買ったNintendoSwitchのとあるレトロシューティングゲームは、入力遅延が大きくかなり不満がありました。

また、この再現性の是非から派生して「今の若者が遊びやすいように調整すべき」という話も出てきたのですが、これに私は反対です。
レトロゲームはそのときのバランスが完成品であり、完成品に手を加えるのならそれはある意味レトロゲームではないと思います。非力なCPU、チープな音源、色の少ないグラフィックそういう環境があったからこそ生まれたゲームですから。今なら処理落ちせずにゲームバランスを取れるとそれをやってしまうのなら、今ならどんな音でも出せるし、色数も無限です。そこに手を加えてまでレトロゲームを面白くする意味はあるのでしょうか?

レトロゲームの価値は、ゲーム性だけではないと思います。そのゲームの存在自体が、あとに続くゲームへ与えた影響こそが、レトロゲームの価値だと思います。

若い人たちに無理にレトロゲームを遊んで貰う必要はありません。ただ、それに興味を持ってくれた若い人がいてくれたら、できるだけ当時の形を知ってもらえたらと思います。