来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

創作コンテンツのステレオタイプキャラの扱い方

女性キャラクターの女らしさ表現やトランスジェンダーキャラのオネエ言葉などが、ステレオタイプだとして批判されてるようです。

しかし、このようなキャラクターは必要だと私は考えます。それはステレオタイプだからではなく、そういうキャラクターを描く必要があるからです。むしろ、それをステレオタイプだと批判することは実在する「ピンクが好きな女性」や「オネエ言葉のトランスジェンダー女性」を傷つけることになるからです。


ステレオタイプだという批判は、マジョリティマイノリティ関係なくキャラクターを「ひとりの人間」として捉えることをしていません。そこはすごく問題だと思います。

創作の物語の中でキャラクターは生きています。その世界観の中で成長し考え振る舞うのです。そこに「今」という創作の外の世界観で批判するのは野暮だなとは思いますが別に構いません。しかし、作品内容自体を「今」に合わせて変えさせようとするのは作品の歴史を変えることであり、むしろこれまでのさまざまな権利の戦いで変わってきたことをわからなくしてしまうのです。

求められるのはコンテンツの受け手のリテラシーです。私は「バカに合わせてコンテンツを作る」という考え方は嫌いです。その代わり、そのコンテンツをちゃんと楽しみたいのならば、受け手には相応の知識や教養、自制心を求めます。

創作コンテンツは現実の鏡です。鏡をいくら拭いても現実が良くなることはありません。
創作批判をすることで現実を変える難しさから逃げるのは、本当に守るべき現実の人間を苦しめ続けるだけです。そんな楽をしていい子としてる気分になりながら善良な批判者を気取るのは、邪悪と言って差し支えないでしょう。