来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

揉め事の可視化

Twitterでよく「〇〇でひどい目に遭いました」とお店や会社を晒すという行為がありますが、その場合の晒す側はサービスを享受する側でなんの瑕疵もない善良なお客というポジションをとります。

しかし取引というのは双方になんらかの義務があるはずで、それを「お客様」というポジションを取る人はなぜか守らない人が多いです。

たとえば、お客はお店の人に買いたいモノをちゃんと説明する。 あたりまえのことですが、それをちゃんとせずに提示された商品が違うと怒り出す人は、取引相手として真っ当ではないです。
お店も商品について必要な情報をちゃんとお客に説明する。そしてお客はその話をちゃんと聞く。話を聞かない人は論外です。(だから私もスマホ機種変の説明を毎回ガマンして聞くのです)

そしてもうひとつ、常識を知る。常識となっていることは説明されないことが多いです。知らない分野に関わる必要があるなら、できるだけ知る努力をする。

Twitterでサービスへの不満をツイートする人で結構多いのが「常識を知らない」人です。常識を知らないがゆえに勝手に自分が不当な扱いを受けたと勘違いして怒り出す。 Twitter民は結構公正なので、そいういう場合は常識を知らなかったほうを批判します。

でも安易に同情を求めてツイートするような人ですから、自分の非を認められるわけもなく引っ込みがつかず自らが炎上することになるわけです。

これらはネット上の揉め事と捉えられがちですが、実際はどこかで起こった揉め事がオープンなSNS上で可視化されたということです。本来目にすることがなかった個人レベルのトラブルがリアルタイムで可視化されるというのは傍観者としては面白くもありますが、これもいわゆるデジタルタトゥとなるわけですから怖い行為です。

SNSは個人が手に入れた革命的な力でもあります。 だから私は発言を控えろという気はなく、波風が立つSNSでの発言は諸刃であると覚悟をもってするべきだと思います。力は大きければ大きいほどそれを使いこなすスキルが必要なのです。