来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

リビドーは創作の源泉なり

小説を書くにあたり、いろいろ情報集めをしています。そのひとつが作家のフォロー。日々どんなことをしながらどんなことを考えて書いてるのか。Twitterだとそれが垣間見えるのが良いです。
 
そういう作家の中にも「書かない作家」がいます。どんなタイプか調べてみると、好きな作品が世界観、雰囲気重視の傾向。このタイプの作品はテクニックも知識も必要だから、能力が追いついたら書こうと思ってたら永遠に書けないことでしょう。
 
私もつい1週間前ほどはこの「書かない」仲間でした。というか、私がやりたかったのは「小説家ごっこ」で、設定とか妄想するだけにして、実際に小説を書くのはカロリーが高すぎるからまぁやらんだろうって思ってました。

それが、とあるラノベと出会うことによって状況が変わるんです。

そのとあるラノベは、主人公が高校では陰キャで気持ち悪がられるが実は超売れっ子ボーカリストという設定でなんやかんやとモテまくるというもの。ほとんど会話だけで構成し、ボーカリストとしての具体的な設定やディテールは極力排除し、あくまで設定はモテの小道具としてだけ機能させているのです。

そんなラノベが商業で売っているのです。

おいおい、こんなんで良いんだったら俺もすぐ書けるわ!と、色々設定とか練るのがバカバカしくなり見切り発車で小説を書き始め、すでに連載という形でとある小説サイトに掲載しております。(どこかは秘密です笑)

しかし、書き始めてわかることですが実際は「俺でも書ける」と思ったこのラノベ、私には無理です。書けません。

技術的なことを言えばそのラノベは稚拙と言わざるを得ません。しかしいちばん重要な、書きたいことへの情熱、リビドーは相当なものでちょっとこれは真似できません。あそこまで女の子にちやほやされまくる描写のみを追求し、その他の描写は極力排除しながらに単行本1冊分書き上げるというのは並大抵の者では成し遂げられないでしょう。

初期の作品づくりに絶対必要なのは、テクニックではなく情熱です。これは間違いありません。情熱で続けていくうちにテクニックが追いついてきて、いずれは情熱無しでテクニックだけで書けるようになったりしますが、最初からテクニックだけで書くというのはよほどの天才でなければ無理でしょう。

そんなリビドーに感化され、私もうっかり小説を描き始めてしまったのですから。これはもう偉大な作品です。

実際に小説を書き始めると、設定やプロットだけ考えるより全然面白いです。こんなんならもっと早く下記始めればよかったと思いました。特に文章を書くというのは創作系の趣味の中ではリソースが比較的少なく、趣味でやるにも丁度いいですし、本業へのプラスの効果もあることがわかりました。

おすすめです。趣味の小説書き。