来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

見栄と謙遜と悪役令嬢と聖女

名古屋に行って思うのが「見栄」の文化だなと。

名古屋駅を出るとすぐにハイブランドのショップが立ち並び、その様はまるで銀座。ビルも大きくデザインは丸の内よりも凝ってる。

そんな「見栄」を私は好意的に捉えています。人はある程度の見栄は必要であり、それも上手くやる必要があります。特にSNSの発達した今、見栄は一歩間違えば虚飾となり人生を破壊します。それなら、継続性のある文化として上手くコントロールしたほうが良いでしょう。

「見栄」のむこう側に「謙遜」という文化もありますが、個人的にこの謙遜という文化はあまりいい印象を持っていません。「見栄」も「謙遜」も生きる術だとは思いますが、見栄には向上心のような野心のような感情が見て取れますが謙遜はそれがよくわからないからです。謙遜してるからといって、野心がないわけではないだろうし、一歩引いてるというわけでもないかもしれない。ただ自信がないだけかもしれない。と、とにかく分かりづらい。

最近の悪役令嬢系コンテンツの隆盛は、悪役令嬢の感情や欲望を素直に表現している己への正直さ、清々しさが受け入れられ、これまで多数派で主人公格で扱われたようなの清純、純血、力を隠しながら「そんなつもりはなかったのに」と言いながら最後はいいとこ取りをしてしまう聖女系キャラへのカウンターという感じがします。

ただ、このふたつは同根で表現・手段の違いでしか無いでしょう。人間欲望がないわけないのです。
以前は能力や欲望をさらけ出すということが下品ではしたないという風潮だったのが、少しずつ変化してきたと思います。それはとても良い傾向だなと。