来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「勝ちの世界線」を知る人々

私はサッカーに興味がないのでFIFAワールドカップは見てないのですが、それでも盛り上がってるとTLに色々流れてきて勝ったんだなとか点入ったんだなとかはとかの情報は目にします。

数日前にどうやら日本が勝ったというのはわかりました。喜びに満ちたツイートが多く見られ、それはサッカーに興味がなくともなんとなく気分がいいものです。

しかし、昨日はどうやら日本は負けたようです。 そこで上がってきたトレンドワードが「戦犯」

誰かのせいで負けたという話のようです。

サッカーには興味ないですが、こうしたスポーツに「戦犯」なんて言葉を使う感覚にちょっと興味を覚えます。

ここで使われる「戦犯」というのは、だれかがなにか行動、采配的なミスをしたように見えたのだと思われます。

ただ、この考え方は前提として「勝つ世界線」は必ず存在し、それを遂行できなかったという「減点式」の考え方です。私はこうした考え方を持つ人が多いことに違和感があります。そんな「勝つ世界線」というものが本当に存在するのでしょうか?

世界は常にリアルタイムで不確定であり、確定したときはすでに過去です。だからこそ今考え続けて未来を予測して行動するわけです。それでもほとんど上手く行かないのが常です。そんなのみんな生きてれば分かると思います。

それを他人に関しては、まるで未来を知ってたかのように「ああすれば上手く行ったのに」 「アイツのせいで上手く行かなかった」と簡単に言う。話のネタとしてのたらればでならいいけど、それを「戦犯」と言い切るのはすごいなと思うのです。

でもこの考え方を自分にぶつけるとなると、多くの人々は本来うまくいくはずの自分はその「勝つ世界線」の行動を何故かやってないということになります。だから私はちょっとこの考え方しんどいのでやらないです。

皆こんなにも、基準を自分と他人で分けて考えられるものなんでしょうか?
私にはこんなにも都合よく自分のことを棚に上げられないです。