来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

誰のための「善意」なのか

被災者の「千羽鶴はいらない」に激怒する人達 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/967551 

1 よい心。
2 他人のためを思う親切心。好意。「―の人々」⇔悪意。
3 好意的に相手の言動などをとらえること。よい意味。「―に解釈する」

 ぜんい【善意】の意味 - goo国語辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/125618/meaning/m0u/

被災者へ向ける「善意」とは本来2番だと思うのだけど、Togetterの怒っている人たちの気持ちの方向は被災者へ向けているわけではなく、善意を持っている自分をほめてほしいだけです。
だから、その善意が理解されないと怒りだし、さらには被災者すらも攻撃してしまう。

日本の「おもてなし」などにも思うのですが、本当に相手を見て行動してるのか怪しいことが多いです。そこあるのは「こんなにもあなたのためにしてあげている私ってすごいでしょ?」という傲りであり、本当は相手を利用して自分が気持ちよくなりたいだけの身勝手です。
最近だと「サプライズ」なんかもそれに当たるでしょう。相手を喜ばせるという建前で、実際には相手が喜び感謝するという見返りを欲しがっている。だから、相手があまり良い反応をしないと「せっかくここまでしてあげたのに」怒りだすのです。


しかしこの手の「善意」「心配」などは自分のことをよく理解していない人が多いです。
たとえば、子どもがなにか挑戦することにいちいち手を貸す親は、子どもが失敗することが心配なのではなく、失敗するかもしれない子どもを心配している自分に耐えられなくて手を出しているわけで、本当に子どもを心配しているわけではないです。
でも親はその心配が子どもに向けてのものだと本気で思っているので、その行動は当の子どもの意思を無視して、自らの心配から逃れるため身勝手な行動をとり続けるのです。

しかし、その行動はあくまで「心配」の除去や「善意」の押しつけを目的としているため、結果として問題を解決したり世の中が良くなったりするものではありません。

こういう浅はかな善意がまかり通るのは、うわべだけの優しさや思いやりを説く低レベルな道徳教育によるものじゃないかと思います。 

被災者を利用して「子どもの情操教育に」と千羽鶴を折るなんて、弱っている者から「感謝」を奪い取ろうと目論む強盗のようなものであり、そんな薄っぺらな教育しか出来ないのならいっそなにもしないほうがよっぽどマシです。

善意も悪意も感情である以上、人を傷つける凶器となり得ます。悪意は法で裁けますが、善意は現状良い対処法が無いので、善意による攻撃からはひたすら逃げるしかないのでしょうか。キツイですね。