来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

ルールは無ければ無いだけ素晴らしいのです

Twitterでネタバレについてのルールを書いた人がバズったというか炎上したというか、そんな感じになってました。
しかしこう、自分の不快さを他人に行動させて解決しようという考え方はどこからくるんでしょうか?
規則を作れば問題が解決すると考えるのはとても短絡的で視野が狭いです。(または本当の目的が別にあるか…)
特に日本人は個人に問題を押し付けて解決しようとするのが好きですね。ゴミの分別とか。エコとか言いますけど人ひとりの時間(=生命)を無意味な分別作業で奪っておいてエコってなんですかね?

ネタバレの話に戻ると、コンテンツ作る側からするとユーザーが勝手にコンテンツの楽しみ方のルールを作るのはちょっと警戒します。
特に「〇〇するな」系はヤバイです。流れによってはそれでコンテンツが死んでしまうからです。

最近は多様性なんて言葉が流行ってますけど、コンテンツの楽しみ方にも多様性が必要だと思います。楽しみ方は多ければ多いほどいいのです。楽しみ方同士がコンフリクトを起こすこともありますが、そこは自衛です。自分で折り合いをつけるのです。
他人の楽しみにケチをつけてはいけません。他人にケチをつけるということは、自分にケチがつけられても文句は言えなくなります。自分の楽しみを咎められないためにも寛容さは必要です。

ただ、その楽しみ方の多様性にも限度はあります。そしてその限度を決めるのはコンテンツホルダーだけです。たまにコンテンツホルダーの代弁をしてる人いますが、それがコンテンツホルダーを笠に着た間違い発言だったりするので、注意が必要です。ソース確認です。

好きな作品が打ち切られるなんて、誰だって嫌なはずです。好きな作品を楽しみ続けるのに必要なのはルールではなく課金ということは強調しておきたいと思います。