来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

自分の「切り売り」2つの方法

小説を書いてわかったことだが、これは自分の切り売りだ。今までの自分の経験や感じたことを基準に描くことになるから、書くことがノンフィクションでなくとも自分という基準がある以上それは作品に自分が反映されることになる。

ただ、これが小説等のフィクションだと、同じ切り売りでも「自分の分身の切り売り」なので自分の体はそれほど痛くない。ただ、分身と本体は魂で繋がってるので、本体のメンテナンスをきちんとしてあげる必要がある。それを怠らなければ、あとは分身を大量に作ればいいのだ。
そして、その評価は分身が受ける。魂で繋がっているで本体にもそれなりの影響はあるが、分身が残念な評価を受けたとしても、次の分身で取り返すことができる。

それに対して、自分そのものを切り売りすると言う方法もある。世の中には自分の身を切っても切っても増えていく化け物みたいな人もいるが、大抵の人の切り身は少ない。しかも味も淡白だ。

だから、切り身に調味料で濃い味付けをして誤魔化す。しかし調味料では誤魔化しが効かなくなり、刺激の強い香辛料に頼るようになり、いずれ切り身の内容量や生産地を偽装するようになる。そしてバレる。

自分の身を切り売りした人はその評価をダイレクトに自分に受ける。これはかなりキツくダメージが大きい。しかも本体へのダメージだから挽回が非常に難しい。 



フィクションは素晴らしい。 私はこっちを選ぶよ。