来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「恵まれた環境」はなかなかわからない

「天才の遺伝子を残そう」みたいな話って割と良くありますけど、こういう話する人って大体自身が能力が高いんですよね。
自分の環境が良かったことに無自覚で、能力の高さを生まれ持ったものだと思いがちかなと。
「恵まれてる」も「恵まれてない」も相対的なものですが、「恵まれてない環境」は気づきやすいんですけど「恵まれてる環境」って結構気づけないんですよね。
私は10代のうちにパソコンを3台買いましたし、小遣いも同世代よりもかなり多く貰ってたようです。でもそれは私にとって普通でした。
25歳で東京に出たんですけど、そうすると地元とは違ういろんな意味でレベルの高い人たちがゴロゴロいるわけです。その人たち見ると私は相対的に「恵まれてない」側になるんです。
東京生まれ東京育ちってだけでかなりのアドバンテージです。でもその人たちはスタートラインが有利だとは感じてないと思います。普通なので。

最初の「遺伝子」に戻りますが、病気の発見や走る速さなどシンプルな身体能力ならともかく、サッカーや野球など思考や判断が重要なスポーツや芸術などの表現が遺伝子でどうこうできるとはとても考えられません。
それらのたまたま「成功者」となった人の遺伝子がどれだけ成功に関係したかも証明できるのでしょうか。

そもそもの話、早生まれは学力、運動能力ともに不利とデータで出ています。能力なんて生まれた月がいつかで変わってくる程度の話なんですよね。

能力が高く頭の良い人たちがなぜか社会の複雑さを理解せず遺伝子の話をするの、すごく怖いです。