来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

ピンチのときは味方の数がものをいう

2週間ほど前まで話題だったのが、お寿司屋さんと港区女子のトラブル。

寿司屋の大将に殴りかかられたという女子の投稿に対し、この寿司屋を知る人達が反論と女子の捏造を暴き、寿司屋は事なきを得ました。そのまま女子の言い分が通れば大変なことになっていたでしょう。

こうしたトラブルの際には、良質な味方の数が重要なんだなという気づきがありました。そして、それは正義や公正さの影響はそれほど強くなく、たとえ悪い人が悪いことをしたとしても、良質な味方がいれば勝てるのです。

当たり前の話な気もしますが、当初は女性がその立場を利用してかなり有利な展開に見えたのが、寿司屋の味方の登場で一気にひっくり返されたのは、私も真っ当に生きて味方を増やしていかなきゃなと思いました。

誠実さは一番の財産ですね。

差別の歴史を風化させると悪いのか?

とあるテレビ番組で、沖縄出身のタレントに「沖縄方言禁止」というゲームをやったことが批判されています。

沖縄は過去に弾圧され沖縄方言で話すことを禁止された歴史があります。

それで「このゲームは差別だ、こんなゲームをやってしまうほど差別の歴史は風化してしまった」というような論調で番組が批判されています。

しかし、私としてはこの批判自体がとても滑稽に思えます。

差別批判している人たちは差別をなくしたい人のはずです。しかし、この番組の「方言禁止」は沖縄差別ではないと思われます。なぜなら、他の地方の出身タレントも同じゲームをしているのです。あくまでこれはゲームであり、うっかり出てしまう方言にある意味地元愛を感じるゲームとも言えます。

私は番組を見ましたが、差別意識は全く感じませんでした。(ただ、沖縄方言が下手な人がゲームの質問者になってたり、テロップの方言の拾い方が雑なのが気になりました)

差別の本質は「差別意識」だと思います。この番組での沖縄の扱いは他の地方と変わらないものでした。このゲームが企画されたこと自体が、沖縄を差別していた歴史が風化し忘れられ、差別がなくなった証拠とも言えます。

それなのに、わざわざ差別をされていた歴史を蒸し返し表面的なことに目を向けて差別だと言う人達は、むしろ沖縄への差別がまだあって欲しいようにすら見えてしまいます。

 

誰も差別をしていないのに。

 

よく戦争や震災の歴史を風化させてはいけないという論調があります。これは、覚え続けることで戦争の抑止力になり、震災への備えになるので良いことだと思います。

しかしそれと差別は同じように語れません。差別があった事実を歴史として記しておき、皆の心からは消えてしまったほうがいいはずです。

ちなみに私の人生では、中学のとき福岡で明確に沖縄の人間への差別意識を向けられたことがあります。ただ、後にも先にもこれ1回だけ、30数年前です。

 

私は沖縄で生まれ育った沖縄県民ですが、住む場所も仕事を選べ、沖縄から県外や海外へ移動することも自由にできるのです。なにか問題があるのでしょうか?

睡眠時間問題はちょっとだけ解決

昨日書いた睡眠時間が短い問題。

 

平均時間を取ると世界では8〜9時間なんですが、世代別に見ると二十代以降歳を重ねるごとに時間が短くなるという記事を発見。

40代は6時間半ぐらいというデータを見てちょっと安心しました。

こうなったら、朝目が覚めたらグダグダせずに清々しい朝だ!と思い込んですぐに起きることにします。

 

結局は気持ちの問題なのか。

睡眠時間が短い

「超夜型」を「夜型」ぐらいにまで変えたいと最近では深夜2時過ぎには寝てるんですが、微妙に悩みというか、気になってるのが睡眠時間の短さ。

よく睡眠時間は8時間なんて言いますし、実際世界各国の平均睡眠時間でも多くの国が8時間以上。中国なんか9時間超えてるし、アメリカも9時間弱。ちなみに世界一は南アフリカです。

しかし私は毎日大体6時間程度。これは意図しての睡眠時間ではなく、ほんとは8時間寝たいのに6時間程度で起きてしまうのです。

そうすると、なんだか気分的に本来取るべき体の休みを取れてないんじゃないかと心配になるのです。

目が覚めてしまってるのだから別に問題ない気もするんですが。

本が空から降ってくる

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本屋を物色していると、通路に文庫本が落ちていました。その本を棚に戻そうとかがんで拾った瞬間、バサっと本が降ってきました。見ると、落ちていた本と同じ「スイッチ」というタイトルの小説。

結構勢いよく落ちてきたので誰か投げたのか?とも思ったのですが、棚をよく見るとこの「スイッチ」が本棚上段に面出しで並べられ、それが前のめりに傾いていました。なるほど、原因はこれかと。

 

その本棚のコーナーは「ミステリー」

 

本が降ってくる謎がちょっと面白かったので、せっかくだからと、この「スイッチ」を買いました。

 

日常にミステリーは潜んでいるのです。

 

 

偶然に理由を探すはやめた方がいい

最近有名な経営者の本を読んだんですが、ざっくり要約すると「努力し尽くせば運(偶然)が味方する」という内容。 この手の話は成功者のエピソードで多いんだけど、私はこの考え方はある意味宗教的感覚であり全く共感できないです。

自分が「運が努力の味方をした」と個人的に思うだけなら全然構いませんが、それを一般化しないでほしい。

こういう努力と運の関連付けというのは非常に悪質で、裏を返せば「運が悪いのは努力が足りない」となります。

地震で被害を受けた人は努力をしなかったからか?当然そんなことはないです。だけど、こんなことにも他人から「日頃の行いが悪かった」とか勝手な理由をつけられたりします。

 

自身のことならともかく、無関係の他人に行い云々いうのは良くないです。

 

世界は偶然の連続で、偶然には理由はありません。だから理由がないものだと受け止めなければならないのです。人間はどうしても物事に理由を求めます。有名な経営者ですら理由がないことに耐えられないのです。

 

断言しますが、努力と運は無関係です。原因と結果の法則とは似て非なるものです。

 

「努力し尽くせば運(偶然)が味方する」のではなく「運(偶然)を自らの努力によってポジティブに変えた」のです。この2つは全く意味が違います。

 

そこを混同させないように。

沖縄の同人の思い出

神野オキナさんが沖縄のサブカルの歴史をまとめてた記事を見たので、昔のことを思い出しました。私が初めて同人誌というものを知ったのは中学2年のときに、学校の図書館になぜかあった聖闘士星矢のコピー誌。実はこれ同級生のひとつ上のお姉さんが描いたものでした。絵柄はオリジナルの車田正美とは違うちょっと少女漫画寄りで、そこがまた魅力的に見えました。その後、私は18歳のときに友達とNEXTという同人サークルを立ち上げて、同人誌を作り始めます。私も二次創作漫画を描いていました。沖縄も90年代は同人誌のクオリティが本当に高かった。スペースで売り子をしているきれいなお姉さんたちが、ドラゴンボールサムライスピリッツの同人誌を描いてるのです。1998年頃ぐらいから同人誌即売会の規模が大きくなって、スタジオYOUが沖縄コンベンションセンターで開催するように。2000年には本家コミケが沖縄でリゾコミという即売会を開催しました。

 

ただ、2000年以降は同人誌を作り売る人は減っていきました。かわりにコスプレイヤーとアクセサリが激増。イベントの求められ方が変わってきたのです。ネットの隆盛もあり、同人誌などのコンテンツの中心はネットに移ったのでしょう。今は地方在住の漫画を描く人や絵師は最初からネットで発表しています。そういう人たちはの多くは即売会イベントには出てません。下手するとそうしたイベントの存在すら知らない。あの、地方の片田舎の同人誌即売会で面白い同人誌に出会う感動。描いてる人が同じ地域に住んでるんだという嬉しさ。それがなくなってしまったのは個人的に残念です。