来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

陰キャが陽キャを目指す系学園モノラノベ

異世界転生系マンガに飽きてきたので、ラノベを読み始めました。

『千歳くんはラムネ瓶のなか』は文章の流れがきれいで、その勢いで学園ものラノベを読み始めました。

その学園モノの概念に「陽キャ」「陰キャ」があります。学園カーストの上位に陽キャが存在し、底辺に陰キャがいると。

ただ、私の中高のときと振る舞いがあまりにも違うので、この学園モノ自体がかなりファンタジーです。恐らく今この世代に近い人達にはまあまあリアルなんでしょうけど。

前提として、この学園モノのキャラクターは陽キャ陰キャ問わず全員頭が良い。まずそこがファンタジーになってしまう一番の要因です。

もっと異世界転生なりのぶっ飛んだ設定の話なら気にならないのだけど、学園モノというリアル寄りだと、こうもちゃんと話が出来る人たちだけで構成された世界ということが非現実的で。

非現実を描くのがラノベだとわかっていても、こう話が通じる人たち(価値観の違いを言葉でお互いに認識できる関係性)ばかりで都合が良すぎるなぁと思ってしまうのです。

 

小説という、言語化することを前提としたコンテンツだから特にそうならざるを得ないというのもわかります。だから文字主体のラノベ、文字と絵併用のマンガ、絵と音声のアニメというのはメディアミックスしながらもターゲットは微妙に違うんだなと再認識。

 

しかし、私の学生の頃は似たワードはあれど「陽キャ」「陰キャ」という明確に2つに分ける言葉が発明される以前だったのでその境目は曖昧でしたが、このふたつのワードが発明されて以降は他人からそのどちらかに分類されてしまうので今のほうが生きづらいだろうなと思います。