来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

あいまいな「中立」という立場に隠れて視野の広い自分を演出するのはかっこ悪いと思う

とあるSNSで「私は公平で中立な立場から考える。ウクライナにも問題があるはずだからそれを探している」という記事を書いてる人が居て、この「いじめられる人にも問題がある理論」を中立、公平と捉えてる人に驚いてしまいました。

世の中を「善」と「悪」に二分することが難しいのと同様に「中立」をとるのは難しいです。
しかし、この「善」と「悪」に対してあいまいな「中立」を逃げ場として利用しながら冷静に分析している自分を演出し、ひとつ上のの階層から見下ろして語るというのはちょっとかっこ悪いなと思います。

「自分の頭で考える」は限界があります。そして、世界には専門家がどれだけ考えても答えの出ない問題が数多くあります。まともな情報も思考力も持たず拙速に自分の頭で考えた素人の答えが、専門家を超えるはずがありません。

もっと「自分には考えてもわからない」範囲があることを意識すべきだと思います。