来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

日本のドラマ・映画が海外で受けない理由を考えた

Amazonで配信中の韓国ドラマ「私の夫と結婚して」を見ました。映像が非常に綺麗で話の展開もわかりやすく、最終16話までダレることなく見ることが出来ました。面白かったです。

この勢いで別の韓国ドラマも見ました。こちらは「高潔な君」というかなりコメディ寄りなドラマ。2015年の作品と古めですが、当時の流行りか尺が短く小気味よく最後まで見れました。

 

ここ1年ほどはアニメ・マンガ・ドラマとかなりの作品を見たと思います。

そんななか日本のドラマ・映画が海外で受けない理由がこれじゃないかなというのを思いつきました。

 

それは「テンプレ(型)で構成されすぎ」です。

 

ドラマでよくある独り言をつぶやいたときに

「何か言った?」

「いや、なんでもない」

 

みたいなやつです。

 

TVドラマは特にテンプレが多く、それが見慣れているひとにとっては理解のしやすさに繋がりますが、逆に言えばそのテンプレをわからないひとには情報が足りません。

さらに最近多いのが、テンプレを使いたいがゆえに登場人物のキャラを変えてしまうことです。テンプレ表現のためにキャラに合わないセリフを言わせてしまう。

 

もちろん、海外のドラマにもそういうテンプレはあります。しかし日本のコンテンツはそれが顕著すぎるのです。

それはおそらく予算と時間がないことに起因してるのではないかと推測しています。テンプレは、作るのも撮るのも楽だから、それでとりあえず形には出来てしまうのです。

表現に必要なテンプレだから使ったわけではなく、作り側が楽をするために、手を抜くために強引に型にはめてるだけのテンプレです。

しかし、そんな作り方を続けてては、これからヒットする可能性は少ないでしょう。国内外ともに。

 

ちなみに、このテンプレの究極みたいなのが異世界転生モノ。読み手にとってはテンプレを知ってると消費カロリーが少なく読め、作り手もテンプレがあるので書くのが楽という共依存になっています。

そんな異世界転生モノはさまざまなテンプレが折り重なり、もはやカオスと化しています。そのせいでアニメ化の際にさまざまな説明をすっ飛ばされて、テンプレ知識のない人にはなんだかさっぱりわからないアニメになっている作品も数多くあります。

しかしながら、アニメではこのテンプレが海を超えてしまい、理解できるファンも増えてるように見えます。すごいっちゃすごいですが、さらに市場を拡大するのに壁となってることには変わらないかなと。

 

この表現のガラバゴスを変えていくことが、これからの日本のコンテンツの生き延びる道だと思います。