来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

道具は変わり続けても「描きたいこと」は変わらない

Twitterで「今の若者は自分らが昔やった地道な練習で習得したことをデジタルですぐ出来る」みたいなことを書いてる人がいました。
こういう進化に対して「電気がなければ何もできない」とか変な批判をする人がいるんですけど、今できる技術を活用することを批判するって結構な自己矛盾を起こすんですよね。(ちなみに冒頭のTwitterの人は批判的に書いてはいませんでした)
絵だったら、過去に紙や筆、鉛筆を発明した人がいたわけです。「電気がなければ〜」と批判する人はその点はどう考えるのでしょう。「筆がなければ何もできない」とか言います?
こういう手段を批判するはナンセンスなのです。
どんな道具を使うかなんて大した意味はありません。道具がどれだけ進化しようとも、結局のところ「それで何を描くか」が重要なのです。それだけはいつまでも変わりません。
むしろ、道具が進化することでひとりで出来ることは格段に増えました。喜ぶべきことです。
もし自分の創作に対して道具や手段を批判する人が現れたら「残念な人だなぁ」とでも思っておけばいいです。