来兎の研究室跡地

作曲家、来兎の雑記です

「世紀末」が近い気がする

1999年にノストラダムスの大予言なるものがありましたが、実際のところ大事件なんてものがキリ良くわかりやすくやってくるわけがないですから。
こうした節目って人間が勝手に作ったものであって、19歳から20歳になっても急に子どもから大人に切り替わるわけでもなく、せいぜい「気持ちを新たにする」程度のことで実質何も変わらないわけです。

小学生の頃『北斗の拳』を初めて読んだとき「世紀末」の意味がわからず勝手に「なんか世界が終わりそうみたいな意味」だと思いこんでました。しばらくしたら「ああ、”世紀”の”末”か、そのまんまじゃないか」と気づくわけです。だから199X年なのねと。

それが、意味を調べると


 19世紀末、ヨーロッパで懐疑的・退廃的な思潮・傾向が広まった時期。「―文学」
 一般に、世紀の末期。また、一つの社会で、最盛期を過ぎて、退廃的な現象がみられる時期。
 
 
https://dictionary.goo.ne.jp/word/世紀末/

あれ、最初に思ったやつあながち間違ってないぞ?と。

それなら、別に「世紀末」を世紀の末でなく使っても問題もなさそうです。

最近の世界の動向を見てると、今後数十年以内に大きななにかが起きそうな気がするのです。物語として消費した「世紀末」がなんだか、現実に世紀末なりそうでちょっとヤな感じです。どうせなら私が死んでる21世紀末までもったいぶっていただきたい。中途半端です。やっぱり世紀末は世紀末にしていただきたい。

せめて、ヒャッハーな世紀末にはならないで欲しいですね。体は鍛えておいたほうが良いかもしれない。